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2019年10月

2019年10月28日

実らない秋

 2、3週間前までは半そでシャツでも良いような暖かい日があったかと思うと、たちまち薄手のコートを着てもおかしくないような寒い日になった。晩夏から一気に初冬という感じで、秋がそっくり抜け落ちてしまったような気がする。「実りの秋」はどこに行ってしまったのだろうか。

 また、また台風21号の影響により関東、東北など広域にわたり豪雨が襲った。激しい雨が降る10月25日に、茨城県筑西市のセレモニーホールで、台風19号で被害を受けたJR水郡線(茨城県の水戸と福島県の郡山を結んでいる路線)の沿線の人と久しぶりに顔を合わせたので話をした。水郡線は鉄橋などが流されて不通区間がある。その人の住まいや会社は被害に遭わなかったのだが、不通になっている区間は人口が減少していて「それでなくても不採算路線なのに、このまま廃線になってしまうかも知れない」と危惧していた。もし、そうなると人口減少に拍車をかける結果になってしまう。

 水郡線に限らず、台風19号では各地のローカル線が被害を受けたので、廃線になってしまうのではないかと心配だ。鉄道などの自然独占産業は経済原理だけでは判断できない面がある。国の在り方に関わる根本的な問題なので、これからの日本をどのようにしていくのかという観点から考える必要がある。採算性だけではないのである。

 それにしても千葉県は大変だ。台風15号で受けた被害が復旧できないのに、台風19号、さらに今回の台風21号の影響による大雨と、短期間にトリプル災害に見舞われた。千葉県には限らないが、農産物などの被害も大きい。果樹農園などの場合、収穫直前で被害に遭えば収穫できたはずの産物がダメになる。農家は減収になって大きな被害を被るが、それだけにとどまらない。来年さらには再来年以降の収穫にも影響が出る可能性もある。そう考えると、直面している被害だけではなく将来にわたってダメージを受けることになってしまう。

 本来は実りの秋のはずなのに、実らない秋になってしまった。再び実りの秋が来るようにするにはどうすれば良いのか。ローカル線の存続問題とも不可分のような気がする。

2019年10月21日

身近な自然災害

 台風15号は神奈川県や千葉県に大きな被害をもたらした。そこに追い打ちをかけるように台風19号が東海、関東、東北など広域にわたって甚大な被害を与えた。台風19号から1週間以上が経過して被害の状況も徐じょに判明しつつある。被災地がそれだけ広域にわたり、また河川の氾濫や堤防の決壊なども多カ所だったことになる。自分がこれまで経験したことのないような大きな台風だった。

 台風19号が関東地方に近づいた12日(土)は、首都圏の在来線のほとんどが運休になったので、1日中、1歩も外出しないでゴロゴロして過ごしたが、横になっているとついウトウトしてくる。長時間にわたってうたた寝をして過ごしたのは何年か振りで珍しいことである。どうせどこにも行けないし、何もやらないことにすると覚悟を決めれば、浅い睡眠ではあってもけっこう長時間寝れるものだ。

 だが、傍らのスマホでは避難警報が何度も鳴って目が覚めた。多摩川の支流の浅川が氾濫する恐れがあるので非難するように、という警告だ。しかし住んでいるのが4階なので氾濫しても水は来ないだろう。飲料水は定期的に宅配されてサーバーから飲むもので、停電になってサーバーが使えなくなったら容器から直接水を注げばよい。食べ物もインスタントラーメンやその他の食料が数日間分ぐらいはある。鍋物などに使うガスコンロとガスはあるし、懐中電灯や乾電池もある。あとはトイレを流したりするための水だが、上さんがお風呂や洗濯機、バケツなどにため込んでおいた。そこで、被害に遭ったとしても駐車場に止めてある自動車だけだろうと、ゴロゴロして過ごしたのである。

 翌13日(日)は鉄道が動き出したので新宿の事務所にでて仕事をしていたら、常総市(茨城県)の弟から電話があり、鬼怒川が氾濫や堤防決壊の恐れがあると深夜に避難勧告が出たので避難所の小学校に一家でいるという。結果的には当該地域は被害がなかったのだが、鬼怒川は4年前の9月に氾濫しているので、住民は避難勧告には敏感なようだ。一方、当方でも浅川の上流では冠水などの被害があった。また、多摩川も上流と下流で大きな被害を出した。しかし、地元では幸い何もなかったと思っていた。

 ところが14日(月)の「体育の日」も仕事をして帰ると、夕食の時に上さんが日野橋が通行止めになっていて通れないという。日野橋は多摩川を挟む東京・立川市と日野市を結ぶ甲州街道(20号)の大きな橋である。橋脚の下部がえぐられて沈下し段差ができたようだ。そこで調べてみたら日野橋の竣工は1926年となっていたのでかなり古い。

 また、全長約367m、幅約10mなので、その橋が通行止めとなると、かなりの影響が出る。近くの立日橋や石田橋に迂回しなければならないが、いずれの橋も朝夕などは車の通行量が多いので、一そうの混雑が予想される。中央高速道路も一時的に通行できなかったし、JR中央線も回復まで日数がかかった(まだ特急は走っていない)。自然災害が身近に頻発するようになってきた。

2019年10月14日

久米島そして「もやい」

 浦添市と那覇市の会社を取材したが、その中日に、日帰りで久米島に行った。久米島空港までは那覇空港から約30分のフライトである。久米島は本年10月1日現在の人口が7797人(うち外国人が41人)という島だ。県立高校もあるが生徒数が少なく、島外からの留学生も受け入れているが、留学生は若干名という。

 産業では車エビの養殖が日本一。また、サトウキビ畑も拡がっていて製糖工場もあった。パイナップル栽培は衰退し、現在では観光用に栽培しているだけのようだ。また、久米島ではコメも作られていたが国の減反政策以来、耕作地は激減したという。耕作を放棄した元田んぼも目にした。いずれにしても物流のマーケットが小さいため、全国ネットの宅配便会社の営業所などを除くと、島内の地場の運送会社は4社と自営業者1人だけである。自営業者というのは、沖縄が日本に返還される以前に、アメリカの法律に基づいて1人1台で取得した事業許可が現在まで続いているからだ。このような自営業者は、沖縄だけではなく鹿児島県の奄美諸島にも残っている。今回は、法人3社を訪ねて簡単な話しを聞く機会があった。

 観光では久米仙酒造と米島酒造を訪ねた。五枝の松や、上江洲家なども見学。比屋定バンタ(展望台)からの海の眺めは、たしかテレビ番組でも観たことがあったと記憶している。テレビで観たといえば有名? なのは「おばけ坂」だ。下り坂のように見えるのだが実際には上り坂になっている。坂の途中で車のエンジンを止めてギアをニュートラルにすると、後ろに戻ってしまうので簡単に実証できる。もちろん道の反対側からくればその逆で、一見、上り坂なのだが本当は下り坂である。そこで「おばけ坂」というのだ。

 那覇では「もやい」の月1回の飲み会に同席させてもらうことになった。「森田さんに『もやい』を説明しなければ分からないだろう」と言ってくれた人がいたが、一応は知っていた。そもそもは海が時化る前などにたくさんの船と船を綱で縛りつけておいて共同して被害を防ぐことからきている。そこからお金を積み立てたりして相互扶助をするような関係を「もやい」という。年金制度なども構造的には「もやい」のようなものである。「結(ゆい)」という地方もあったはずだ。

 40年ほど前に、そんなことを調べて原稿を書いたことがあるので、多少のことは知っていた。予期しないところで雑学が活きてくるものだ。しかし、雑学程度の知識はあっても、実際に「もやい」の飲み会に同席させてもらったのは初めてなので、良い経験になった。

 沖縄では昔から「もやい」が多いとは知っていたが、実体験によって雑学の知識が1つ増えたので、いずれは何らかの役に立つこともあるだろう。だから取材の旅は何歳になってもやめられない。ちなみに「おばけ坂」では、思わず政府の「緩やかな景気回復」を思い出してしまった。おぉ、怖い!

2019年10月 7日

間(ま)

 東京・向島の料亭で日本青年会議所(JC)物流サービス部会のシニア同窓会があった。自分はメンバーではないが、過去に20数年にわたって取材で顔を会わせていたので、メンバーと同様に案内をいただく。一昨年、昨年と仕事の予定が入っていたので参加できなかったが、今回は出席することができた。

 向島という場所がらか、芸者衆はもとより幇間(ほうかん)も1人お座敷に呼んだ。だが、向島に幇間は1人もおらず、現在は浅草に6人いるだけという。ということで浅草から来てくれたのだが、本人いわく、絶滅危惧種ということになる。幇間の「幇」は助けるで、つまり「間」を助けるという意味のようだ。太鼓持ちなどともいわれるが、客のご機嫌を取りながら人と人の間を取り持つ、あるいはお座敷の間(ま)を取り持つ芸人である。

 何事においても「間」は重要だ。幇間は話だけではなく体を使った芸もあるが、落語などは言葉だけなので「間」の芸と言っても良いだろう。前座、二つ目、真打と順番に噺を聞いていくと、「間」の違いが芸の差であり、芸人としての格の違いが良く分かる。古典落語などの有名な噺は何度か聞いているので、次に何が来るぞとか、落ちも分かっている。それでも名人の語りを聞いていると、同じところで同じようについ笑ってしまう。話のコツはまさに「間」なのだと思う。

 シニアの会なので、久しぶりの再会を喜んだり、昔話にも花が咲く。だが、それだけではなく、経営者は幾つになっても若いので、これから先の話も面白い。75歳(今月中旬で76歳)のある経営者の話によると、近いうちにベトナムに現地法人を設立する計画という。それだけではなくモンゴルにも同国の企業と合弁会社を設立する予定で、具体的な仕事の話も進んでいるようだ。石炭を露天掘りしているが、その石炭を一度に100トン運んでくれと言われているのだという。100トンを一度に運ぶのはムリでも、海外では30トン積みのトラックが走っているので、その後ろに20トン積めるシャーシを連結して、一度に50トンを運ぶことを考えているという。いずれにしても具体的になったら連絡をくれることになった。そしたら取材に行くことになる。

 このように、付かず、離れず、適度な「間」を保ちながら、多くの人たちとの関係を長年続けてきた。取材者と取材対象者の関係も、間の取り方が重要である。

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