« 2019年10月 | トップページ | 2019年12月 »

2019年11月

2019年11月25日

バス利用者の立場

 仕事でいろいろな地方に行く。ずっと昔は北海道の取材では長距離フェリーも利用したが、最近は長距離フェリーには乗らない。だが、離島に行く時などは短距離フェリーなら乗ることもある。長距離移動で利用するのは飛行機や新幹線で、また在来特急に乗ることもある。あとは在来の電車や電化されていない路線では列車。そして最寄りの駅からはタクシーか路線バスになる。これらの中で一番分かりづらいのが一般の路線バスだ。

 電車(列車)の本数が少ない地方では、約束の時間よりもかなり早く最寄り駅に着くことがある。その電車に乗らないと、次の電車までの間隔が長いので、約束の時間に間に合わなくなってしまうからだ。そこで早くついて約束の時間まで余裕がある場合には、できるだけ駅から路線バスを利用するようにしている。交通費を節約する目的もある。だが、時間的に余裕がない時にはバスかタクシーかの選択の余地がないため迷わずタクシーだ。

 これらの乗り物のうち、利用者の立場から一番問題があると思うのは路線バスである。まず、どの路線に乗れば良いのか。次に、どこの停留所で降りれば良いのか。この肝心な2点が非常に分かりづらい。最近は合理化のためか、駅前にバス会社の案内所すらない所もある。

 出張で遠方に行く場合には、電車の時刻表と同時に駅からのバス路線を調べることもある。バス会社のホームページ(HP)には路線と時刻表、料金表などが当然でている。だが、いくら調べてみても、目的地に行くにはどの路線に乗れば良いのかが分かりづらい。また、乗車する路線が分かっても、目的地に一番近い停留所がどこなのかが分からない。これではHPで路線、発車時刻、料金表などを開示していても役に立たない。結局、バス会社に電話して聞くことになる。

 利用者にとっての目的は、下車する停留所なのである。もっと正確にいうと、下車した停留所から訪問先までの距離(徒歩の所要時間)が分かることだ。つまり利用者が知りたい内容は、①乗車する路線と発車時刻、②下車する停留所、③発車して下車する停留所までの所要時間(平均的な目安)、④料金、⑤停留所から訪問先までの距離などである。自分は、さらにその日の天候なども加味して、バスにするかタクシーにするかを選択する。

 自分が見知らぬ町でバスを利用する場合に、事前にHPで知りたいのは、目的地(何町何丁目何番地)を入力すればどの路線に乗車して、どの停留所で降りるのが一番近いか、そして料金と目安となる所要時間が表示されることである。ところが、初めて利用する人に必要なこれらの要素の大部分がHPの路線案内には欠けている。これでは地元の人にも見放されるだろう。

2019年11月18日

日本は広い

 いまや若い人は世界中に自由に羽ばたく時代だ。狭い日本に留まっていてはいけない。などと在り来たりのことをいうのは歳をとった証拠かもしれない。だが、「狭い日本」も実はけっこう広いのである。

 「47都道府県の歴史と地理が分かる事典」(伊藤賀一著、幻冬舎新書)を読んだ。主観的な部分もあり(客観的素材を取捨選択する主観なら当然だが、そうではない主観)、また、自己PRの営業的要素も含まれているが、それらを差し引いても全体としては面白かった。

 これまでに国内なら47都道府県全部に行っているものの、仕事なのでどうしても県庁所在地やそれに準ずる都市などに偏りがちだ。特別な取材を除くと、なかなか小さな市町村にまで行く機会は少ない。そのような中でもスケジュール的に余裕があれば遊びの予定を1日、2日とって、行ってみたかった史跡や景勝地などに足を伸ばすようにしている。だが、現実には1泊してもピンポイントで帰ることの方が圧倒的に多い。いつも、今度は時間を取ってあそこに行ってみよう、といった思いは持っているのだが、なかなか実現しないのである。

 その点、本の世界なら自由に頭の中で旅をすることができるので楽しい。通勤電車の中で、あたかも未知の地方を旅している気分になれるのだ。

 同著を読んで、これまで訪ねたことのある所なら、あぁ、そうだったな、と懐かしくなる。あるいは、そんな所があったのか、今度、近くに行く機会があったら時間を取って足を伸ばしてみようなどと楽しい目標ができた。今度はそれをどのように実現するかだ。100%観光旅行というわけにはいかないので、仕事と遊びの兼ね合いである。

 それにしても、「狭い日本」なのに知らない所だらけだ。講演で行くのはほとんど大都市に限られるが、これは仕方がない。だが、取材ならこちらから選択できるし、スケジュールも立てやすい。そんなことで、もっと、もっと取材という旅を続けようという気になってきた。いや、いや、遊びではありません。あくまで仕事ですよ。

2019年11月11日

ブロブディンナグ

 ラグビーのワールドカップが終わって1週間余が過ぎた。事務所のある新宿西口付近を歩いていると、やっと「ブロブディンナグ(巨人の国)」から帰還できたような気分になってくる。

 日本で開催されたラグビーのワールドカップは、決勝でイングランドを下した南アフリカが優勝して幕を閉じた。日本は優勝した南アフリカに準々決勝で敗れたが、見事にベスト8に入った。予選リーグでアイルランド、スコットランド、ロシア、サモアを破って4勝を挙げ、A組を1位で通過しての決勝トーナメント進出は大躍進で日本国中を熱狂させた。にわかラグビー・ファンも急増しただろう。日本のラグビー関係者のこれからの課題は、にわかファンをいかにコアなファンにしていくかではないだろうか。

 このコラムで2015年10月19日に「ラグビー」を書いたが、早いものであれから4年が経った。この間に日本代表の力が一段とついてきたことを確認できるような大会だった。今大会の日本代表のゲームをテレビで観ていて痛感したのは、ラグビーは全選手の総力戦なので、他のスポーツと比べて大番狂わせが起きにくい競技だな、ということである。4年前には予選リーグで3勝しながらベスト8に残れなかったが(史上初のようだ)、当時よりも一段と強くなってきたことを感じさせた。

 このラグビー・ワールドカップの期間中は、まるで「ブロブディンナグ」に迷い込んだかのような錯覚を覚えることがあった。自国代表の応援ために観戦に来たと思われる訪日外国人の人たちが大勢いたからだ。事務所の付近では、JR新宿駅西口の真向かいに公式グッズ販売所(メガストア)ができた。スバルビルが建て替えのために解体され、更地になっていたところにグッズ販売所がつくられたのである。また、毎日通勤で乗っている京王線は、途中に東京スタジアムがある。試合がある日には飛田給駅で乗降するラグビー観戦の人たちが大勢いた。

 これらの人たちの中には、自分も昔はラグビーをやっていました、と言わんばかりの大男がたくさんいた。身長も高く、体格も良い。腕も普通の人の足の太ももぐらいあるような人たちだ。こんな大きな人たちが全力でぶつかり合うのだから、体力も使うしケガもするだろう。

 そんな大男が数人のグループでたくさんいたのである。中にはビールを飲みながら歩いている人もいた。たしかに、この体格ならビールもたくさん飲むだろう。そんな集団とすれ違うと、まるで巨人の国に迷い込んだかのような気になってくる。だが、マナーの悪い人は皆無だった。品のないインバウンドは嫌だが、このような良識的な人たちならたくさん来てもらっても良い。

 ラグビーのワールドカップが終わって、最近はブロブディンナグから無事に帰還できたガリバーのような気分だ。

2019年11月 4日

あぁ、首里城が……!

 10月31日の朝、テレビを観たら首里城が炎上していた。驚くとともに、何とも表現しようのない気持ちになった。10月14日に「久米島そして『もやい』」でも書いたように、先月は沖縄に行った。10日の午前中に那覇での取材を終えてから、午後に首里城に周ったので、ちょうど3週間前に訪ねたばかりだったのである。

 沖縄に出張しても日程がタイトな時にはどこにもよらずに帰ってくる。だが、帰りの飛行機の時間までに余裕があればどこかに寄るようにしている。そんなことで首里城には5回ぐらいは行っていると思う(観光での訪沖も含め)。昔は移動手段がバスかタクシーだったので帰りの飛行機の時間が気になったが、「ゆいレール」ができてからは首里駅から那覇空港駅までの時間が正確に読めるので安心できるようになった。

 しかし、今回は時間的に余裕があっても首里城の中には入らなかった。実は、「鎖之間」でさんぴん茶を飲みながら琉球王朝時代の伝統菓子でも食べようかとも思ったのである。だが、まぁ、またの機会でも良いかと中に入らずに首里駅に足を向けてしまった。10月とは思えない夏のような気温の中で、首里城に行く前に那覇市内をけっこう歩いたので疲れもあり、早めに空港に行くことにしたのである。今にして思えば、残念で仕方がない。

 その2日前の8日に浦添市で取材をし、夕方の次の予定まで時間があったので、浦添城跡に連れて行ってもらった。駐車場で車を降りると、近所のおじさん(と思われる人)が近づいて話しかけてきた。押しかけガイドかと思ったのだが金銭の要求はなく、無料であれこれ説明してくれたのである。その中で「この場所から首里城がわずかに見える」と指さしてくれた先を見ると、おそらく正殿と思われる朱色の屋根だけが遠くに小さく見えた。現在は「城跡」になってしまったが浦添城は首里城以前の中山王の城だった。そのおじさんは「首里にグスクが移る前はここが王都だった」と誇らしげに強調していたことを思い出す。

 それにしても琉球の宝が燃えてしまった。ヤマトンチュの自分でさえ複雑な気持ちである。ウチナンチュの思いはいかばかりか。建物は復元可能だろうから少しでも早い再建を願うしかない。だが、焼失してしまった貴重な絵画や漆器、尚家の関連資料などの収蔵品は…と思うと重ね重ね残念だ。

« 2019年10月 | トップページ | 2019年12月 »