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2020年1月

2020年1月27日

災害と人口減と高齢化

 久しぶりに車を運転して1泊2日で取材して回った。初日は約束の時間に間に合わないと大変なので、かなり早めに家を出た。高速道路が混んでいて遅れてはいけないという不安があるからだ。順調に走れればだいぶ早く着いてしまうが、その時には訪問先の近くで時間をつぶせば良いと考えてしまう。トラック・ドライバーの心理が良く理解できる。

 それに高速道路を走っていて感じるのは、ちゃんとした運送会社のトラックの後について走れば安心だ、ということである。後続の車がトラックでも安心できる。トラックは走行車線を一定の速度で走るので、前後の車間距離を保ちながら走れば、久しぶりの運転でも疲れが少ないのだ。もっとも全部のトラックがそうではない。中にはかなりのスピードで走り、強引な割り込みをするトラックもある。困ったものだ。職業がら、トラックに書いてある運送会社名を確認してしまう。すると、安心できる運転をしているトラックの会社名と、乱暴な運転をしているトラックの会社名を見て、「なるほどな」と変に納得するのである。

 取材先の地方でも、車で移動していると様ざまなことが見えてくる。近年、大きな水害に見舞われた地方なので川の補修工事などが行われているのだが、ある取材先で聞いた話では、被災者の中には引っ越してしまった世帯や人たちもけっこういるようだ。移転先は近隣の市である。

 商店の衰退も目に付く。災害よりずっと以前から、郊外の大型店に客が流れて売り上げが落ちていて、シャッターを下ろしていた店も少なくない。それでも営業を続けていた店もあったが、被災後に営業再開するには店の補修や建て直しなどで大きな費用がかかってしまう。そこまでして今後、経営が成り立つのか。また、後継者の問題などもある。さらに被災者の中には引っ越してしまう人たちもいるので、ますます客が減少する。このように、これまで何とか頑張って営業を続けていた商店も減っていく。

 高齢者が運転する車の事故が多いことから、高齢者の運転免許返納なども進められている。だが、近くの商店などがなくなってしまうと、日用品の買い物も不便になる。自宅から遠い量販店などに買い物に行ったり、病院に行くにも車が必要で、周りに迷惑をかけずに生活するには、自分で車を運転するしかない。運転免許を返納してしまうとそれもできないので、生活に支障が出る。高齢者の運転免許返納を促進するなら、地域循環バスなど公共交通機関の拡充が伴わないといけない。そうなると市場原理ではなく、政治の世界の問題になってくる。

2020年1月20日

懐かしい私鉄沿線

 西武池袋線の保谷駅で降りた。取材先の所在地は新座市なのだが、距離的に一番近い駅が保谷なので池袋から西武線で行ったのである。西武池袋線に乗車するのは何年ぶりだろうか。記憶では数年ぶりのはずだが、それでも久しぶりなので懐かしかった。というのは、ずっと昔は毎日、同線を利用していたことがあったからである。

 かつて生活したことがあるのは江古田駅から10分程度のところだった。さらに江古田から引っ越して2、3年後には、再び石神井公園駅の近くのアパートに移り住んだことがある。今となれば、いずれも古き良き思い出だ。

 江古田にいた時には住み込みに近い形で新聞配達のアルバイトをしていた。しかし、いろいろなことがあった。詳細は省くが、ある事情で新聞配達のアルバイトが難しくなり、江東区の錦糸町の方で牛乳配達のアルバイトに替わったのである。その後、まがりなりにも正業に就くようになってから、また石神井公園の近くのアパートに越してきた。だが、石神井公園での生活も2年間だけだった。これも詳細は記さないが、その後、目黒区の方に引っ越したのである。

 そういった経緯もあり、池袋から保谷までの間にある江古田と石神井公園の駅にも止まるように各駅停車に乗った。往復とも車窓の外ばかり眺めていたのだが、当時とは景色が一変していた。鉄道も高架橋になってしまったので、窓から見える風景もほとんどが建物の屋根ばかり。もっとも昔は沿線には畑が多かったが、何もかもすっかり変わってしまった。仕方がないことである。

 沿線の様相は全く変わったが、懐かしい私鉄に乗ると、南こうせつとかぐや姫の「神田川」(喜多條〈条〉忠作詞、南こうせつ作曲、木田高介編曲、1973年)、布施明の「積木の部屋」(有馬美恵子作詞、川口真作曲、1974年)、野口五郎の「私鉄沿線」(山上路夫作詞、佐藤寛作曲、筒美京平編曲、1975年)などの歌を思い出す。短い乗車時間だが、プチ・センチメンタル・ジャーニーである。

2020年1月13日

除夜の鐘が「ゴーン」

 日本時間の1月8日夜。レバノンの首都ベイルートでカルロス・ゴーン被告が記者会見をするというので、関心を持ってテレビのニュースを観ていた。チャンネルをあちこち頻繁に切り替えながら「独演会」の映像を観たり、解説者の話を聞いたりしていたのだが、バカバカしくなってきたので、記者の質疑が始まる前にテレビを消して寝てしまった。あまりにも厚顔な自己主張と、具体性に乏しい「反論」ばかりしているので、興味が失せたのである。

 するとその夜、というより正確には翌日朝なのだが、変な夢を見た。ゴーン被告に単独インタビューをしている夢だが、取材の内容まではハッキリしない。だが、自分に都合の良いことを一方的は話すだけなので、こんなのを相手にしていても「ダメだこりゃ」と取材を打ち切った瞬間に目が覚めたのである。なぜ、そんな夢をみたのか不思議だ。ずっとむかし某音楽事務所を通して、海外からきたバンドの楽器輸送を取材したことがあった。その時、楽器だけではなくアンプやスピーカーなども総て専用のものを運んでくることを初めて知った。運送事業者はそれを空港まで引取りに行き、ライブ会場に運ぶ。その会場での公演が終わると、すぐにトラックに積み込んで次の演奏会場に輸送するのである。それらをライブ会場の中に入って取材した(その時は中野サンプラザだった)。

 ゴーン被告も「楽器」になって出国したらしいし、くだらない会見の様子をテレビニュースで観ていたこともあって夢を見たのかも知れない。だが、取材の夢を見るなんて「仕事熱心」なのか、あるいは「職業病」なのか…。それにしても、先述したようにゴーン被告は厚顔で一方的な自己主張だけ。それでもまだ、従業員やその家族を含めた会社のためを思っての主張なら分からなくはない。だが、そんなことはゴーン被告の眼中には一切ないようだ。自分個人の金もうけのための行為を正当化しようとしているに過ぎない。

 この逃亡劇にどれだけの金が動いたのだろうか。没収された保釈金だけでも15億円という。さらに、プライベート・ジェット機のチャーター料や、逃走を幇助した人たちに支払ったギャラなどが16億円という説もある。よくそんな多額の金があるものだ。厚顔無恥で一方的に自己主張できるような人間なら、金持ちになれることを実証したともいえる。

 野次馬A「がめついゴーン被告のことだから没収した保釈金の返還要求と逃亡に要した費用を、東京地検特捜部に請求してくるかも知れないな」。野次馬B「その時には本人が集金に来るように言えば良い」。野次馬C「多額の現金は重くて1人では運べないから夫人も一緒にね」。

 こんな下らないことばかり考えてしまう。はるか遠くのレバノンから除夜の鐘の音が「ゴーン」と響いてきた。それを聞いたら逆に煩悩が1つ増えて109になってしまったようだ。

2020年1月 6日

寅さんとの再会

 映画「男はつらいよ お帰り寅さん」を観た。渥美清さんがいないのに、どのように「寅さん映画」を創るのか興味があったが、なるほどと感心した。人それぞれの人生と、現代が抱えている日本の社会問題と、そして懐古などが寅さんの思い出を通して盛り込まれている。

 ‘‘パパがどこかに行ってしまったような3日間”とは、満男の1人娘のユリの表現だ。子供の感性は鋭く、本質をついてくる。まさに「お帰り寅さん」は、久しぶりに満男が泉と過ごした夢のような3日間の物語ともいえる。寅さんという共通の思い出を介して懐かしい青春時代に戻っているようだが、この間に流れた別べつの時間を取り戻すことはできない。そして、これからもそれぞれの道を歩いていかなければならない。それが人生というものだろう。

 それにしても甥の満男は「おじさん(寅さん)」の影響をたくさん受けて育ち、おじさんに良く似てもいる。その映画を観ながら自分も寅さんの世界とは心の奥底で深く関わりながら生きてきていたのだな、ということを初めて気づいた。それは寅さんが生きた時代であり、同時に寅さんが生きづらかった社会でもある。寅さんを受け入れてくれる世間と、寅さんを排除する現実が同時に存在する。あらためて寅さんに「いまは幸せかい」と問われたような気がした。そして「肝心なことから目を逸らしちゃダメだよ」と寅さんに説教されたのだが、「あんたにだけは言われたくない」と言い返したような気分だ。

 ユリの言う‘‘パパがどこかに行ってしまったような3日間”こそ、自分にとっては‘‘寅さんと再会していた2時間’’だったのか! それが渥美さん亡き後の寅さん映画をどう創るのか、という疑問に対する回答だったとは…。そしてユリが父親の満男に言った‘‘おかえり”は、さぁ、寅さんと別れて現実の日常の世界に帰りなさい、という観客に向けた言葉だったのかも知れない。

 山田洋次監督に対して、アートディレクターの横尾忠則氏が「アイディア盗用」と怒っているという週刊誌報道もある。事実は分からないが映画としては良かった。願わくば、いまや小説家になった満男が、おじさん(寅さん)の生き方を通して人生とは何かを語りかけるような小説を書いて有名な文学賞を受賞し、そのフランス語版を泉が翻訳する、といった筋書きの次作を期待したいものだ。これは素人の単なる思いつきであって、アイディアというほどのものではありません。念のため…。

 それにしても2019年5月20日に「また寅さんに会えそう」でも書いたように、寅さんにしばらく会っていなかった間に、涙腺の緩みがかなり進行していたことを再認識した。

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