寅さんとの再会
映画「男はつらいよ お帰り寅さん」を観た。渥美清さんがいないのに、どのように「寅さん映画」を創るのか興味があったが、なるほどと感心した。人それぞれの人生と、現代が抱えている日本の社会問題と、そして懐古などが寅さんの思い出を通して盛り込まれている。
‘‘パパがどこかに行ってしまったような3日間”とは、満男の1人娘のユリの表現だ。子供の感性は鋭く、本質をついてくる。まさに「お帰り寅さん」は、久しぶりに満男が泉と過ごした夢のような3日間の物語ともいえる。寅さんという共通の思い出を介して懐かしい青春時代に戻っているようだが、この間に流れた別べつの時間を取り戻すことはできない。そして、これからもそれぞれの道を歩いていかなければならない。それが人生というものだろう。
それにしても甥の満男は「おじさん(寅さん)」の影響をたくさん受けて育ち、おじさんに良く似てもいる。その映画を観ながら自分も寅さんの世界とは心の奥底で深く関わりながら生きてきていたのだな、ということを初めて気づいた。それは寅さんが生きた時代であり、同時に寅さんが生きづらかった社会でもある。寅さんを受け入れてくれる世間と、寅さんを排除する現実が同時に存在する。あらためて寅さんに「いまは幸せかい」と問われたような気がした。そして「肝心なことから目を逸らしちゃダメだよ」と寅さんに説教されたのだが、「あんたにだけは言われたくない」と言い返したような気分だ。
ユリの言う‘‘パパがどこかに行ってしまったような3日間”こそ、自分にとっては‘‘寅さんと再会していた2時間’’だったのか! それが渥美さん亡き後の寅さん映画をどう創るのか、という疑問に対する回答だったとは…。そしてユリが父親の満男に言った‘‘おかえり”は、さぁ、寅さんと別れて現実の日常の世界に帰りなさい、という観客に向けた言葉だったのかも知れない。
山田洋次監督に対して、アートディレクターの横尾忠則氏が「アイディア盗用」と怒っているという週刊誌報道もある。事実は分からないが映画としては良かった。願わくば、いまや小説家になった満男が、おじさん(寅さん)の生き方を通して人生とは何かを語りかけるような小説を書いて有名な文学賞を受賞し、そのフランス語版を泉が翻訳する、といった筋書きの次作を期待したいものだ。これは素人の単なる思いつきであって、アイディアというほどのものではありません。念のため…。
それにしても2019年5月20日に「また寅さんに会えそう」でも書いたように、寅さんにしばらく会っていなかった間に、涙腺の緩みがかなり進行していたことを再認識した。
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