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2020年10月

2020年10月26日

学生生活や進路に影響

 先週は群馬大学の荒牧キャンパスに行ってきた。校内は広々として緑が多い。公園の中に間隔をおいて建物が建っているような感じである。こんな自然豊かなゆったりとしたキャンパスで勉強や研究ができるのは羨ましい限りだ。

 だが、見かける学生は少ない。取材で訪ねた次世代モビリティ社会実装研究センターの教授によると、授業はリモートで行っていて、ゼミの学生と院生は学校に来ているという。それでも学食や売店などは営業していた。

 偶然だがその翌日には神奈川大学経済学部の齊藤ゼミの学生たちによる研究発表をリモートで視聴した。同ゼミの学生たちが10数人ずつ3班に分かれて共同研究をし、その研究結果の発表会である。例年なら大学に行って発表会に同席するのだが、今年はリモートになった。3班とも発表された研究結果は具体的で、いつもよりも全体的にできが良かった。研究結果についての論評はともかく、神奈川大学ではゼミの学生も原則的に登校はしていない。もちろん授業はリモートである。

 そんなことから同ゼミの4年生の中には、アパートを引き払って田舎の実家に帰り、リモートで授業を受けている学生もいる。就職も地元企業にしたという。また、都内に本社のある大手物流会社に就職が内定したが、それを辞退して地元の物流会社に就職先を替えた学生もいる。このように新型コロナウイルスは学生生活だけでなく、卒業後の進路にも影響を与えている。そのような中での共同研究は大変だったものと推測される。

 一番かわいそうなのは今年4月に入学した学生だ。群馬大学も神奈川大学も今年度の新入生はまだ学校に来ていない。当然、友達などもできないだろう。来年度は正常に戻ることを願うばかりだ。

2020年10月19日

予防接種

 インフルエンザの予防接種を初めて受けた。これまでは、自分に限って感染しない、という変な自信があって予防接種などしたことがなかった(実は注射が嫌い)。だが、今年は新型コロナウイルスの問題もあり、家でうるさく言われるので受けることにしたのである。

 中野区にある総合病院の腎代謝科には2カ月ごとに定期診断に行っている。だが、予防接種は家から歩いて10分ほどの所にあるクリニックで受けることにした。市の公報にあった指定診療所のリストから選んだのである。高齢者は優先的に予防接種を受けることができて無料だ。

 このクリニックは今まで遠くから見るだけだったが外観は新しい。実際に中に入ると院内も明るくきれいだった。診療科も内科、神経内科、循環器内科、腎臓内科、小児科、リハビリテーション科がある。だが、いつも行っている総合病院とは受診者の層が違う。9割ぐらいが高齢者で、残り1割もほとんどは小さな子供を連れた若い母親だ。いかにも近所のお医者さんという雰囲気である。

 高齢者の4分の1ぐらいは夫婦での来診と思われた。特徴的なのは男の人より女の人の方が全体的に健康そうなことである。一般的に夫が年上で妻が年下という組み合わせの夫婦が多いので、女性の方が若くて元気なのかも知れない。だが、それだけではなさそうだ。少し離れたところからみた瞬間、女性の方が若く見えるのは、多くの人が髪を染めているからだろうと思う。人間は見た目の第一印象も大切である。

 ところでインフルエンザの予防接種が今回が始めてなのは、子供のころから注射が嫌いだったからでもある。今でも注射や採血などは、できるだけしたくない。だがインフルエンザの予防接種では、医師が少しチクッとしますよといったら一瞬で終わりましたという。もう、終わったのかと思うほど簡単だった。

 新形コロナウイルスも治療薬や予防薬ができ、簡単に予防接種できるようになると良いのだが。

2020年10月12日

恣意的・主観的判断

 コロナ禍で経済に大きな影響が出ている。コロナの収束は見通せず、当分の間はウィズコロナ下での生活を余儀なくされそうだ。現在のような状況が長引くと、それに伴ってさらに影響が大きくなってくる可能性もある。

 そのような中で顕在化してきたのは2局化という現実だろう。昔は「中流」層が日本社会の主流だった。だが、最近は「中流」という言葉をあまり聞かない。「中流」が崩壊し、「上流」と「下流」への分化が進んできたからである。そのような実態がコロナ禍で浮かび上がってきた。日本には不安定な生活を強いられている弱い立場の人たちがたくさん存在していた、という現実が目に見えるようになった。これらの人たちは「自助」が足りないのだろうか?

 コロナは社会的に弱い人たちだけでなく、比較的恵まれた人たちにも影響を及ぼしつつある。たとえば、これまでも「副業」を認めるようにするという流れはあったが、大手企業の一部で他の会社との雇用契約を容認する動きが始まってきた。新聞報道などによると、ANA(全日本空輸)が社員の副業範囲を拡大する方向を打ち出したという。コロナ禍で世界中の航空会社の経営が厳しくなっている。自分も半年以上、飛行機に乗っていない。こんなことは近年なかった。

 それにしても、ANAといえば大企業で就活学生にとっては憧れの企業の1つだ。今年2月24日の「しっぺ返し」で書いたように、旧民主党政権時に支援を受けて経営を再建したJAL(日本航空)への「しっぺ返し」で、自民党政権になってから、発着枠の割り振りなどでANA優遇の政策が取られてきた。その結果、機材や人員などが増えたためにコロナ禍の影響がより大きくなったようだ。皮肉なものである。

 ところで副業を認めるような企業が増えてくると、労働市場や雇用環境はどうなるのだろうか。端的に言えば正社員の実質的な非正社員化が進むだろう。副業の容認は、いずれは主たる就業先の給与水準の低下をもたらす。正社員といえども将来の役員候補など一部の社員を除くと、その会社の収入だけでは生活が厳しくなってくる。そして、複数の会社の仕事の掛け持ちが必然化してくる。そうしないと生活できる収入が得られないからだ。時間の経過とともに、現在は正社員の人たちも、コロナ禍で顕在化した非正社員の人たちと同じような状況に近づいていく。その結果、大部分の人たちが実質的に非正社員化するのである。

 かたい話は抜きにして、そうなるとメインの就業先はどの会社になるのか? 普通なら社会保険などに加入している会社が主たる就業企業と考えるだろう。だが、そんなに甘くはない。健康保険や年金などの財源確保のために、働いている複数の会社の収入全部から社会保険料を徴収し、それぞれの会社には法定福利費を払わせるようになるだろう。

 以上は恣意的、主観的な憶測によるものだ。けっして総合的、俯瞰的な立場からの推測ではない。ただし、この間に総合的、俯瞰的という言葉の意味が変わった。最近は自分に不都合なことは除外することを、総合的、俯瞰的な広い視野からの判断と解釈するようになっている。

2020年10月 5日

情けない転倒

 最近は朝夕の冷え込みが厳しくなってきた。日中に晴れて気温が上がっても、湿度が少なく不快感はない。毎朝、ウォーキングしながら途中で軽くランニングしたりしていても、夏ほど汗をかかなくなった。やはり秋なのだと実感する。

 それと併せて気づくのは、最近は朝の散歩をしている人たちのマスク着用率が下がってきたことだ。緊張感の持続に疲れたり、安心感への慣れのようなものがあるのだろう。一方、散歩の途中ですれ違う時に、必要以上に距離をとる人もいる。神経質な人だと思うが、あまり大げさだとわざとらしく不快感を覚えることもある。

 ところでランニングの途中で転倒してしまった。道路の凹凸に気づかず躓いたのである。足の筋力が衰えて昔のように足が上がっていないのだろう。僅かな凹凸でも躓くようになってしまった。それに昔ならよろけても転倒しないで体勢を立て直せたはずなのだが、簡単に転んでしまう。やはり年齢を実感せずにはいられない。情けない限りだ。

 万が一、細菌でも入ると厄介なので、帰ってからシャワーを浴び、擦りむいたところに薬を塗っておいた。翌日もいつもと同じように軽くランニングしたが、幸い大丈夫なようだ。

 転んで擦り傷をつくるなど何年ぶりだろうか。子供のころに戻ったようで、ある意味では懐かしい。そうとでも思ってポジティブに捉えておこう。だが、これからは気をつけないといけない。

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