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2020年11月

2020年11月30日

新旧の手帳

 11月も今日で終わり、明日からは12月だ。あと1カ月を残すだけとなったこの1年を振り返ると、日々の些事に追われて何となく過ぎてしまったような気がする。ともかくコロナ、コロナで毎日が繰り返され、気づいたら今年も残り1カ月といった感じだ。コロナ禍もあって新宿の事務所を6月末で閉鎖したのが今年最大の出来事だった。7月からは家で仕事をするようになったが、結果的には良かったと思う。

 この時期になると来年こそ良い年になるように、という気持ちが強くなってくる。2021年の手帳も買い、現在の時点で分かっているスケジュールを新年への期待を込めながら書き込む。だが、恒例の新年会を中止するというハガキが来るようになった。例年なら新しい手帳に新年会の予定がいくつか記入されているはずだ。しかし、現在のところ2021年の手帳に年明けの新年会の予定を1つも記入していない。

 今年の手帳を見返すと、当初記入した予定に横線を引いてあるのが目立つ。予定がキャンセルになったのは、とくに年の前半に多い。昨年の今ごろに2020年の手帳に記入したスケジュールだ。キャンセルになったのは講演の予定が多いのも今年を象徴している。今年の前半は、人が集まるセミナーが軒並み中止された。さらに今年の後半になると、新しい講演のオファーがほとんど入ってこなくなった。コロナ感染防止からリモートでセミナーを開催する主催者もいるようだが、聞くところによると参加者は少ないという。

 そんなことで、今年は講演の仕事は激減した。だが幸いなことに原稿の出稿はコロナ以前と変わらない。ありがたいことにレギュラーで連載している原稿は従来通りだ。プラス新規のスポットの原稿依頼も入っている。ただ、肝心な取材をどう進めるかが大きな課題である。まぁ、何とか工夫をして取材をしているが、気兼ねなく全国を自由に動き回れるようになってもらいたいものだ。

 早く2021年の手帳にスケジュールがぎっしり書き込めるようになることを願う。

2020年11月23日

新幹線車内模様

 以前にも書いたが、1月下旬以来、飛行機には乗っていない。新幹線にも5月~8月は乗らなかった。だが、9月からは随時、新幹線での日帰り出張をするようになり、先週も長野に行ってきた。

 3月、4月ごろは新幹線の乗客も少なく社内がガラガラだった。もちろん、どの方面に行くか、どの列車(時間帯)に乗車するか、どの区間を乗るかなどによって異なるだろう。だが、4月に滋賀県に出張した時など、東京駅から同じ車両に乗った乗客は10数人程度で、それも徐々に降りていき、自分が降車する時には1人か2人しか残っていなかった。

 しかし、新幹線の乗客も徐々に増えてきたことが実感できる。ビジネスの出張客も増えてきたが、「GO TO トラベル」の利用客の増加が大きいだろうと思われる。先週の長野出張では、往きは長野行で帰りは金沢発の新幹線だった。帰りの長距離の新幹線の方が乗客がずっと多かった。後で知ったのだが、東京から石川県に行くGO TO トラベルの旅行者は特に多いようだ。

 旅行客と思われる人たちは、海外旅行などで使うような大きなスーツケースを持った人たちがほとんどだった。そして、団体ではなく2人づれが目立つ。一方、スーツを着たビジネス出張と思われる人たちも以前に比べ変化してきた。ノーネクタイの人の割合が増えている。また、コロナ以前はビジネス客の多くがキャリーバックと仕事用のカバンを持って乗車していた。だが最近は、仕事用のカバンだけの人の割合が多い。数日間の出張から日帰り出張になってきているのだろう。

 それにしても新型コロナウイルスの感染者数が急増してきた。経済活動と感染防止の両立という新しい生活様式が必要というが実際には難しい。経済活動と感染防止の両立のための一つとして、マスクをした静かな会食が求められている。それで思い出した! 「アベのマスク」が小さいのは、マスクを外さなくても少しずらすだけで食事ができるようになっていたのか。さすがに先見の明がある人たちがやることは違う。

 先見の明か手遅れなのかはともかく、GO TO キャンペーンの一部見直しという「大英断」が下された。政府の基本政策は変えないが、一部見直しの判断は都道府県知事に委ねる。つまり、GO TO キャンペーンという「公助」を続けるが、感染防止策は知事が「共助」として実施しろ。それでも感染者がでたら、それは「自助」が足りないからだ、ということのようだ。

2020年11月16日

アメリカ大統領選挙

 今回のアメリカの大統領選挙ほど、世界中の耳目を集めたことは過去になかったのではないだろうか。第二次大戦後の世界の政治や経済さらに文化など様々な面で、アメリカは常に大きな影響力を持ち続けた。したがって誰がアメリカの大統領になるかは、いつも世界中の関心を集めてきた。だが、今回は少し違った意味でも注目されたのである。いや、まだ過去形ではなく、現在進行形で今後の推移が注視されている。

 このコラムを書いている時点では、50州と首都ワシントンの開票が終わり、バイデン氏が過半数(270)を大きく上回る306の選挙人を獲得したと報道されている。だが、トランプ氏は敗北を認めていない。異例の展開で野次馬的な興味も含めて関心を集めているのだ。

 このような中で、初めて知ったのはアメリカの郵便事情だ。日本では普通郵便でも翌日や翌々日にはほとんど届く。だが、郵便投票を巡る一連の報道から、アメリカでは日本と比較するとかなり日数がかかっている、ということが分かった。海外在住の有権者の郵便投票なら日数がかかることもあるだろうが、国内(ほとんどは州内のはず)でも何日間もかかっているようだ。また、毎日2回は配達状況をチェックするように、といった州もあったので配達ミスなどが珍しくないのだろうと思う。

 トランプ氏の自己主張や自己顕示欲も日本人の自分からすると理解しがたい。あれほど自我を通さなければ成り上がることができない社会なのだろうか。もっとも、現在のアメリカ人のほとんどは、過去にさかのぼれば移住者の子孫である。初期の入植者たちは先住民の土地(必ずしも個人所有ではないが)などを奪って我が物とし私有財産などを築いた。中でもWASPといわれるエスタブリッシュメントは成功者だ。そのような意味では、トランプ氏は新大陸に移住した先祖の血をそのまま体現しているともいえる。また、最近ではWASPの意味も変容してきたようなので、トランプ氏の差別的な過激発言を熱狂的に支持する層の心裏には、そのような時代の変化の反映があるのかも知れない。

 さらに今回のアメリカ大統領選挙で強く感じたのは、バイデン氏の支持者であろうと、トランプ氏の支持者であろうと、あれほど熱狂的になれるということに対する驚きである。社会の格差と分断が進行していることも、政治的対立を先鋭化している一因なのだろう。だが同時に、大統領選挙に参加できることが羨ましくも思った。

 日本は議院内閣制なので、総理大臣の選出に国民が直接参加できない。ほとんどは第一党内の派閥力学で総理大臣が決まってしまう。そのような中で、権力側が自分たちに都合の悪い異論を排除するような傾向が強まってきた。日本でも社会的格差が拡大し、「トランプ的」な分断の論理と同様の事態が進行しているが、日本の方がより陰湿である。議院内閣制であるのに小選挙区制を導入したことの弊害だと思う。

2020年11月 9日

浦島太郎と神田川

 仕事で近くに行ったので少し足を延ばして吉祥寺に行った。当日の予定は午後の早い時間に終了したし、天気が良かったので、久しぶりに井之頭公園を散歩してから帰ろうと思ったのである。

 吉祥寺の駅に降りるのは何年ぶりだろう。いや、何年ではなく何十年ぶりだ。いろいろ記憶をたどると、この前に来た時から少なくとも30年以上は経っているのではないか。いま目の前にあるのは、自分の頭の中に残っていた駅や駅周辺の記憶とは全く異なった世界である。駅から井之頭公園に続く通りも、記憶の残像とは違い、まさに隔世の感だ。

 井之頭公園に向かって歩きながら、そうか! 浦島太郎とはこのようなことを言うのか、と思った。今の自分は浦島太郎なのだ。なるほど、おとぎ噺は奥が深い。

 だが、井の頭池は昔の記憶と変わらなかった。井の頭池の水は湧水で、石神井公園の三宝寺池、善福寺公園の善福寺池とともに武蔵野三大湧水池と言われている。石神井公園の近くには、むかし約2年間ほど住んだことがあった。満開の夜桜の下、あるいは肌寒い秋風の吹く夜など、三宝寺池の周りを散歩した。懐かしい青春時代の一コマである。

 井の頭池の周りを歩きながら公園の外に目をやると、周辺の建物は記憶とは全く違っていた。30年も経てば家も建て替えられるのは当たり前か。マンションは井之頭公園を借景に設計されているのだろう。建物も瀟洒な造りだ。吉祥寺が常に住みたい街の上位にあるのも納得できる。

 池の東の端から外部に流れ出る水を観ていて、井の頭池が神田川の水源だったことを思い出した。だが、神田川で頭に浮かぶのは実際の川より南こうせつとかぐや姫が歌った「神田川」(作詞:喜多条忠、作曲:南こうせつ、編曲:木田高介、1973年にシングル発売)である。

 おとぎ噺の浦島太郎は玉手箱をあけて一気に歳をとってしまった。現代の浦島太郎である自分は、記憶の中の玉手箱をあけたら、逆に半世紀も若返ったように錯覚した。だがフッと現実に返った。おそらく井の頭池には浦島太郎の噺には欠かせない亀(ウミガメではないが)もいるだろう。でも、目の前の池にいるのは外来種の方が多いかも知れないな? 時の流れは止めることができない。

2020年11月 2日

西金砂神社

 10月31日に茨城県常陸太田市にある西金砂神社(にしかなさじんじゃ)に行ってきた。仕事で使うイメージ写真の撮影に出かけたのだが、「雲一つない」という在り来たりな形容がぴったりの秋晴れだった。日野市からは圏央道の入間ICから高速道路に入り、常磐道の那珂ICで一般道に出た。那珂ICからは国道349号線で常陸太田市に行くのではなく、国道118号線で常陸大宮市を経由したのだが、家を出てから約3時間半で着いたので、思ったより早かった。

 西金砂神社は西金砂山の頂上にある神社で、常陸太田市のHPによると806年(大同元年)に天台僧の宝珠上人が社殿を造り祭壇を設けたとされている。同市内の東金砂山にある東金砂神社と合同で72年ごとに行こなわれる大祭礼は、開催間隔が日本で最も長い祭りという。直近では2003年3月22日から同31日まで開催された。よほど巡り合わせに恵まれた人生でないと一生に2回は経験できない。

 ところが、頂上で本殿の写真を撮っていると登ってきた人がいたので、挨拶をして立ち話をした。地元の人で、東金砂神社は近くなのでよくいくのだが、西金砂神社には年に1度ぐらいしか来ない。今日は天気が良いので久しぶりにきたという。この前の大祭礼を経験できたという話だった。6年ごとに開催される小祭礼は来年3月だが、コロナのために1年延期が決まったという。1200年以上の神社の歴史の中で過去にそんなことがあったのだろうか?

 撮影を終えて帰ろうとしたら、まだ、参拝していないことに気づいた。そこで僅かな賽銭をあげ、作法通りの礼拝をした。その時、カメラからレンズを外してカメラバックにしまって下山しようとしたのだが、いや、途中で写真を撮るかも知れないと思いなおした。カメラとバックを持ったまま階段を下りようとし、フッと気づいてシューズのジッパーを直そうと屈み込んだら、階段にカメラを落としてしまった。嫌な予感が的中して、広角ズームのレンズが壊れてしまった。ちょうど数日前に、ニコンイメージングジャパンから修理代のNPS割引が従来の50%から20%になったという文書が来たばかりだ。お参りせずに帰っていればこんなことにはならなかったのに。賽銭が少なすぎたのかな。

 帰りは笠間市に抜けて筑波山の近くを通り、常総ICから圏央道に乗ることにした。筑波山のふもとを運転しながら、偶然にも10月31日だったことを思い出した。54年前の今日もこんな秋晴れだった。自分たちの高校では10月の最後の日に高校と筑波山の大鳥居を走る催しがあった。高校から筑波山へ、その翌年は筑波山までバスで行って高校までと、1年おきに反対方向に走るのである。

 自分は1年と3年の時に筑波山に向かって走った。1年の時にトップを走る陸上部の3年生の後にピタリとついて走っていて、ふと道路わきを見ると「10㎞」とあったので、残り10㎞と勘違いし、余力もあるし行けると思ってスピードアップした。そのままトップで走り続けたのだが、しばらくしてまた「10㎞」とあった。先にみたのは走り出してからの距離だったことに気づき途端に足が重くなった。結局、その後に2人に抜かれて3位だった。

 2年生の時には卓球の公式試合の直前だったので走らなかった。3年生の時に過去最高の記録で1位になったのが54年前の10月31日である。その後しばらくして道路事情などからコースが変わったため、自分の記録は永遠に残ることになった。そんなことを思い出していると、レンズが壊れた落ち込みも少しは和らいできた。

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