アメリカ大統領選挙
今回のアメリカの大統領選挙ほど、世界中の耳目を集めたことは過去になかったのではないだろうか。第二次大戦後の世界の政治や経済さらに文化など様々な面で、アメリカは常に大きな影響力を持ち続けた。したがって誰がアメリカの大統領になるかは、いつも世界中の関心を集めてきた。だが、今回は少し違った意味でも注目されたのである。いや、まだ過去形ではなく、現在進行形で今後の推移が注視されている。
このコラムを書いている時点では、50州と首都ワシントンの開票が終わり、バイデン氏が過半数(270)を大きく上回る306の選挙人を獲得したと報道されている。だが、トランプ氏は敗北を認めていない。異例の展開で野次馬的な興味も含めて関心を集めているのだ。
このような中で、初めて知ったのはアメリカの郵便事情だ。日本では普通郵便でも翌日や翌々日にはほとんど届く。だが、郵便投票を巡る一連の報道から、アメリカでは日本と比較するとかなり日数がかかっている、ということが分かった。海外在住の有権者の郵便投票なら日数がかかることもあるだろうが、国内(ほとんどは州内のはず)でも何日間もかかっているようだ。また、毎日2回は配達状況をチェックするように、といった州もあったので配達ミスなどが珍しくないのだろうと思う。
トランプ氏の自己主張や自己顕示欲も日本人の自分からすると理解しがたい。あれほど自我を通さなければ成り上がることができない社会なのだろうか。もっとも、現在のアメリカ人のほとんどは、過去にさかのぼれば移住者の子孫である。初期の入植者たちは先住民の土地(必ずしも個人所有ではないが)などを奪って我が物とし私有財産などを築いた。中でもWASPといわれるエスタブリッシュメントは成功者だ。そのような意味では、トランプ氏は新大陸に移住した先祖の血をそのまま体現しているともいえる。また、最近ではWASPの意味も変容してきたようなので、トランプ氏の差別的な過激発言を熱狂的に支持する層の心裏には、そのような時代の変化の反映があるのかも知れない。
さらに今回のアメリカ大統領選挙で強く感じたのは、バイデン氏の支持者であろうと、トランプ氏の支持者であろうと、あれほど熱狂的になれるということに対する驚きである。社会の格差と分断が進行していることも、政治的対立を先鋭化している一因なのだろう。だが同時に、大統領選挙に参加できることが羨ましくも思った。
日本は議院内閣制なので、総理大臣の選出に国民が直接参加できない。ほとんどは第一党内の派閥力学で総理大臣が決まってしまう。そのような中で、権力側が自分たちに都合の悪い異論を排除するような傾向が強まってきた。日本でも社会的格差が拡大し、「トランプ的」な分断の論理と同様の事態が進行しているが、日本の方がより陰湿である。議院内閣制であるのに小選挙区制を導入したことの弊害だと思う。
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