« 西金砂神社 | トップページ | アメリカ大統領選挙 »

2020年11月 9日

浦島太郎と神田川

 仕事で近くに行ったので少し足を延ばして吉祥寺に行った。当日の予定は午後の早い時間に終了したし、天気が良かったので、久しぶりに井之頭公園を散歩してから帰ろうと思ったのである。

 吉祥寺の駅に降りるのは何年ぶりだろう。いや、何年ではなく何十年ぶりだ。いろいろ記憶をたどると、この前に来た時から少なくとも30年以上は経っているのではないか。いま目の前にあるのは、自分の頭の中に残っていた駅や駅周辺の記憶とは全く異なった世界である。駅から井之頭公園に続く通りも、記憶の残像とは違い、まさに隔世の感だ。

 井之頭公園に向かって歩きながら、そうか! 浦島太郎とはこのようなことを言うのか、と思った。今の自分は浦島太郎なのだ。なるほど、おとぎ噺は奥が深い。

 だが、井の頭池は昔の記憶と変わらなかった。井の頭池の水は湧水で、石神井公園の三宝寺池、善福寺公園の善福寺池とともに武蔵野三大湧水池と言われている。石神井公園の近くには、むかし約2年間ほど住んだことがあった。満開の夜桜の下、あるいは肌寒い秋風の吹く夜など、三宝寺池の周りを散歩した。懐かしい青春時代の一コマである。

 井の頭池の周りを歩きながら公園の外に目をやると、周辺の建物は記憶とは全く違っていた。30年も経てば家も建て替えられるのは当たり前か。マンションは井之頭公園を借景に設計されているのだろう。建物も瀟洒な造りだ。吉祥寺が常に住みたい街の上位にあるのも納得できる。

 池の東の端から外部に流れ出る水を観ていて、井の頭池が神田川の水源だったことを思い出した。だが、神田川で頭に浮かぶのは実際の川より南こうせつとかぐや姫が歌った「神田川」(作詞:喜多条忠、作曲:南こうせつ、編曲:木田高介、1973年にシングル発売)である。

 おとぎ噺の浦島太郎は玉手箱をあけて一気に歳をとってしまった。現代の浦島太郎である自分は、記憶の中の玉手箱をあけたら、逆に半世紀も若返ったように錯覚した。だがフッと現実に返った。おそらく井の頭池には浦島太郎の噺には欠かせない亀(ウミガメではないが)もいるだろう。でも、目の前の池にいるのは外来種の方が多いかも知れないな? 時の流れは止めることができない。

« 西金砂神社 | トップページ | アメリカ大統領選挙 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 西金砂神社 | トップページ | アメリカ大統領選挙 »