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2020年12月

2020年12月28日

たんたんと過ぎゆく

 年の瀬といっても近年はかつてのような喧騒観はなくなった。とりわけ今年は、たんたんと時間が過ぎていくように感じる。クリスマスや年末セールといった華やかさも全くない。

 そのような中で、「赤チン」を製造していた最後の1社が12月25日の包装分をもって製造を終了するという。いくつかの報道によると、赤チンは最盛期の1960年代には全国で約100社が製造していた。しかし、2000年代にはいると3社になり、2019年からは三栄製薬(東京都世田谷区)1社だけになったという。その三栄製薬が赤チンの製造を止めた。

 これには理由がある。1つは他の薬ができてきたこと。もう1つは、原料の製造過程で水銀が発生することから、国内での原料製造は1973年に終わり、以後は海外から原料を調達するようになっていたという。

 赤チンといっても知らない若い人たちが多いと思うが、むかしは家庭や学校の保健室などの常備薬だった。自分も小さいころには、転んで擦りむいたりすると、まずオキシドールで消毒する。泡が出てくるが、それは「悪いばい菌を体の外に出しているのだ」と祖母から聞いて、これで大丈夫と信じていたものだ。その泡を拭き取ってから赤チンをつける。塗ったところは文字どおり赤い色になっていた。ヨードチンキもあったが、ヨードチンキは刺激が強く傷口にしみて痛かった。子供にはヨードチンキよりも赤チンの方が良かった。

 赤チンではほろ苦い思い出がある。小学校の5年生の時だ。クラスの中にいろいろな係がいて自分は保健係だった。理由は忘れたが赤チンを脱脂綿に浸してピンセットでつまんで持ち、廊下を歩いていたら向こうから同じクラスの女の子が歩いてきたので、驚かしてやろうとすれ違いざまに「ワァー」と大きな声をだした。その瞬間、何かのはずみで女の子の着ていた白いブラウスに赤チンをつけてしまったのである。

 近所ではなかったが親同士が知っている間柄だったし(その彼女は家に遊びに来たこともあった)、先生にも叱られなかった。どのような顛末になったのかは知らない。また、ひょっとしたら淡い恋心だったのかな、とも思う。赤チンの製造終了のニュースに接し、真っ先に思い出したのは、その「赤チン事件」のことだった。

 今年の暮れもそうだが、赤チンの製造終了など戦後もたんたんと遠ざかっていく。だが、新しい戦前が近づいてこないことを願いたい。

2020年12月21日

全身びしょ濡れ

 毎朝、走った後は歩いて帰ってくる。走るのは8コースぐらいあって、その日の気分で決めている。その後、歩いて帰る時にはいろいろな道を通る。時間的に余裕のある時には遠回りするし、まだ歩いたことのない路地に入ったりと様々だ。

 先日は、土手から下りて浅川の河床ブロックの上を飛び飛びに渡って対岸に行き、近道をして帰ることにしようと考えた。浅川が多摩川と合流する少し手前なので川幅はけっこうある。ちょうど川の真ん中ぐらいで、ブロックから川の中に落ちてしまった。浅いので顔は水面に出していたが、うつ伏せになったまま全身が水浸しだ。

 その時、真っ先に頭に浮かんだのは、なぜだ? という疑問だった。自分で足を踏み外したのなら、悔しいが体の衰えを認めざるを得ない。だが、左足は水面に出ているブロックの上に確実に着地したはずだ。それなのに、なぜ?

 霜だとすぐに気づいた。ランニングしている時にも、土手の草が霜で白くなっていた。河床ブロックの上の霜で足が滑ったのだと理解できた。原因が分かれば問題はない。それにしても見事に水中に転んだものである。柔道なら綺麗な一本負けだ。

 水面が目線の近くにある。上流に向かって倒れたのでうっすらと水蒸気が立ち上る下を、川の水がこちらに向かって流れてくるのが見える。テレビなら、この位置から水平にカメラを水面下に下ろして水中で泳ぐ魚を映す。そんなシーンを思い浮かべた。だが、早く起き上がらなければいけないと気づいた。

 倒れる時に両手をついて体を庇った。寒いので薄い手袋をして走っていたから、川底の石に両方の手のひらをついたが切り傷はない。左足の膝を打ったようで少し痛かったが、ゆっくり屈伸したら大事にいたらず大丈夫なようだ。そこで、ここまで濡れてしまえばジタバタしても仕方がないと、ブロックにはのらずに半分はヤケクソで岸まで水の中を歩いた。

 川岸に上がってからは、寒いのでゆっくり走ることにした。少しでも早く帰ってシャワーを浴びたい。今日は大気温の方が水温より低い。日本は寒波に覆われていたのを思い出した。日本海側などは大雪になっている。ランニングにしてもウォーキングにしても、これからは路面の凍結などに気をつけよう。今さらながら、人間は失敗から学ぶものである。

 そして走りながら考えた。「これで次のコラムのネタができたぞ」。

2020年12月14日

ネットの影響力

 ここ最近、つくづく思うのはネットの影響力である。ネットに原稿をUPするたびに、確かな手ごたえを感じるからだ。

 代表的な媒体としては活字(書籍、雑誌、新聞)、電波(テレビ、ラジオ)、通信(Web)があるが、それぞれに特徴がある。活字媒体でも書籍は信頼性が高いが、影響力が限られるようだ。ただ、持続性という点では長く、しかも内容が正確である。それに学者などの専門家からは重視され、評価される。週刊誌や新聞は一過性だが、書籍よりは読者数が多いので反応もある。

 それに対してテレビやラジオは活字媒体よりも影響力が大きく、一般の人たちにも知ってもらえる。だが、レギュラー番組で出演しているのならともかく、テレビの報道番組のコメントなどは、1時間から2時間ぐらいスタジオ収録しても、放映されるのはせいぜい10秒か20秒、長くても30秒といったところ。しかもほとんどが一過性である。もちろんライブで30分も出演すると反響は大きいが、そんなことはめったにない。ラジオの場合は電話を繋いでおいてパーソナリティからの問いにライブでコメントすることが多い。放送時間もテレビより長く10分から15分ぐらいはある。だが、やはり一過性だ。

 それに対して通信(ネット)は、リツイートなども含めて波及効果がある。活字媒体よりは「寿命」が短いが、テレビやラジオよりは長い。それにアクセス数の多いものなら、様々な人が見ており、その結果として反響が具体的な手ごたえとなって感じられるのだ。

 この間、何本かの原稿をネットにUPしたが、その都度、反響があった。ネット通販の書籍販売などをみていると、原稿をUPした直後には著書が少し売れるようである。それより具体的に感じるのは、様々なオファーがメールで入ってくることだ。当方はホームページを開設していないので、出版社や物流学会事務局などにはお手数をおかけすることになるが、それらを経由してメールでのコンタクトがある。

 そんなことで、来年はネットへの出稿に力を入れようと考えている。

2020年12月 7日

2021年の年賀状

 もう2021年の年賀状を準備する時期である。例年ならば12月上旬にはデザインだけでなく印刷まで一括してデザイン会社に発注していた。

 だが、2021年の年賀状は出さないことにした。どうしようかと考えていたのだが、コロナ禍で世の中が大変な状況でもあり、「おめでとうございます」の賀状を送るのは憚られる。人に会えば「こんにちわ」と言うように、慣習的な挨拶だと割り切れば良いのかも知れないが、どうも、そうはいかない。

 このような時だからこそ、少しでも早くコロナが終息して平穏な日常が戻るようにと祈念する意味も込めて「今年は良い年になりますように」といった新年の挨拶が必要かも知れない。だが、新型コロナウイルスの感染者がこれだけ増えると、年賀状を送ったご当人は大丈夫としても、関係者の誰かが感染している可能性もある。

 そのようなことから2021年の年賀状は出さないことにした。年賀状をいただいた人には、その都度、お礼のハガキを出すようにしようと思っている。その方が手間暇がかかるが仕方がない。

 デザイン会社にその旨の話しをしたら、同様のケースが多いようだ。近年は新年のあいさつを1月1日の早朝にEメールで一斉に発信するような人が増えてきた。それに従って年賀状そのものが年々、減少しているようだ。これまでは年賀状を出していたがメールなどに切り替えることを考えていた人もいるだろう。コロナ禍はそのキッカケになるので、年賀状の枚数が大幅に減少するものと思われる。

 それにしても、いやな世の中になってしまったものだ。

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