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2021年1月

2021年1月25日

ともかく始動

 ここ2週間ほどは取材でかなり動き回った。地方での取材だったが、午前と午後など移動時間も含めて、不思議なくらい効率的で都合よくアポイントが取れた。取材には無駄がつきものだが、理想的に取材先を組み合わせることができ、あまりにも思わく通りなので逆に怖いぐらいである。

 地方に電車で行く場合には、たいていは最寄り駅からタクシーを利用する。タクシーのドライバーとはいつも世間話をするのだが、どこも景気が悪いという話ばかりだ。それでも、取材先に着くまでのわずかな時間とはいえけっこう楽しい。タクシーのドライバーは高齢者がほとんどだが、それだけ様々な人生経験がある。だから単なる世間話でも面白いのだ。

 今回は写真が必要な取材だったのでカメラを持参した。デジタル一眼レフをメインに、ミラーレス一眼をサブにした。レンズも何本か含めると重いカメラバックを持っての移動である。ところが、ある駅から乗ったタクシーの高齢のドライバーがカメラバックに注目して、写真の話しになった。若い時には東京にいて、コダック製品を日本国内に販売する会社で営業をしていたのだという。かつてのコダックの全盛期の話しになった。だが、フィルムカメラからデジカメの時代になり、世界を席巻したコダックもダメになってしまった。まさに栄枯盛衰である。それでも、やはりモノクロフィルムはトライ-X400だという話しで盛り上がった。

 車で行った取材もある。公共交通機関では不便な取材先を午前、午後と組み合わせたので、久しぶりに車を運転した。高速道路を走っていて気づいた「異変」は、大型バスが全くといって良いほど走っていないことである。往復とも高速道路で大型バスをほとんど見かけなかった。これでは観光バス会社は大変だろうと改めて感じた。

 コロナ禍でダメージを受けているのは、観光バスが一番大変で、次がタクシー、そしてトラックという順番のようだ。自動車以外のモードでも航空会社や鉄道会社が大きな影響を受けている。豪華客船も当分はダメだろう。

 そのようなコロナ禍でも、ともかく2021年が動き始まった。幸いなことに、当方は比較的順調な始動である。

2021年1月18日

アマビエ余談

 調布市の布多天神社でアマビエの御朱印をいただいてきた。調布市には水木しげるさんが長年住んでいた。そんなことで水木さんの代表作「ゲゲゲの鬼太郎」の鬼太郎は布多天神社の本殿裏の森に住んでいたという想定のようだ。御朱印のアマビエは水木さんが描いたもので水木プロのクレジットが入っている。

 先日、このアマビエを「甘エビ」と言い間違えてしまった。そこで考えた。すし屋で期間限定の「アマビエ」をメニューに加えたらどうか。甘えびを裏返しに握るだけのことだが、昨今のコロナ禍の閉塞感が漂うご時世ではダジャレでも言わなければやっていられない。

 コロナ感染防止では、国会でセンセイ方が会食ルールを決めるの決めないのと検討していた。我われ下々には「自粛」を強調しておきながら、ルールがないと自分自身の行動も判断できないセンセイ方に、法律という国や社会の重要なルールづくりを任せておいて良いのかどうか。総選挙は年内に必ずあるが、菅総理に解散時期はと訪ねても、おそらく「答えられるものと、答えられないものがある、と答えるように答弁メモに書かれている」という答えが返ってくるだろう。これじゃ、まるで早口言葉だな…。

 鶏卵業者から大臣在任中に受け取った500万円については賄賂にあたるとして、吉川元農水相が「在宅起訴」になった。東京地検特捜部の検事さんたちは「在宅勤務」をしながら、「リモート会議」などで検討をした結果、「在宅起訴」としたのだろうか。もし、そうだとすると「ステイホーム」の極みだ……?


 コロナ禍の現在は、賄賂か政治献金かに関わらず、大臣室で現金を「対面受け渡し」してはいけない。コロナ感染防止の観点からは、大臣室のドアの前に現金を置く「置き配」をお勧めする。贈賄側は写真を添付した現金配達完了のメールを送る。収賄側は受け取り確認の返信をする。これで双方とも感染リスクがなくなる。だが、贈収賄の証拠のデータは残る。さぁ、どちらのリスクを選ぶべきか! それが問題だ。

 カウンターに座って、こんなくだらない妄想をしていると、「だんな、次はなにを握りましょうか」といわれたので、「大将、アマビエをたのむ」と注文した。すると「テイクアウト」「ステイホーム」という小池都知事の流暢な英語(少しアラビア語訛りがある)が聞こえてきたように錯覚した。そうだ外食はダメだった。持ち帰りにしよう。

2021年1月11日

万年筆

 今年は年賀状をどこにも出さなかった(20年12月7日づけ当コラム)。コロナ禍で「おめでとうございます」と書くのが心理的に憚られたからである。そこで年賀状をいただいた方には一般ハガキで礼状を出そうと考えていた。1人ひとり相手の顔を思い浮かべながら、礼状を手書きするのも良いだろうと思ったのである。

 だが、実際に手書きすると大変だ。お礼のハガキを書きながら、万年筆でこんなに文字を書いたのは何年ぶりだろうと考えた。昔は原稿は手書きだった。取材やその他のメモも万年筆でノートに書いていたし、原稿も全部そうだった。ほぼ毎日、記事を書いただけでなく、個人的には時どき本を1冊書いたりしていた。単行本では原稿の枚数がかなりの量になる。ふうてんの寅さんの歌に「目方で男が売れるなら~」という一節があるが、「目方で原稿が売れるなら、こんな苦労はするまいに~」と苦笑しながら、売れそうもない本の原稿を書いたものだった。

 これまで使ってきた万年筆はモンブラン、パーカー、シェーハー、ペリカン、パイロットである。いずれも文字の太さはミディアムだが、メーカーによってミディアムでも太さが違う。また、それぞれにペン先の弾力が微妙に違うので、長い時間書き続けていると腕の疲れが違ってくる。そのため、異なるメーカーの万年筆をいつも2本(2種類)は持ち、気分転換も含めて使い分けていた。ペン先などの調子が悪くなると修理に出しながら長く使っていたが、寿命があっていずれはダメになる。するとインクを入れる部分を水洗いしてしまっておく。捨てるのが惜しいからだ。そんなことで何本かの万円筆をダメになるまで使ってきたが、ここ20年ぐらいはシェーハーとペリカンを使っている。一方、シャープペンは50年近くも前に購入したパイロットを今も使い続けている。木製なのでグリップの木目の色合いにも年季が入ってきた。

 現在も取材メモを書くのは万年筆だが、原稿は手書きではなくなった。そのため万年筆の寿命が延びている。今回、年賀状の返礼を万年筆で書きながら、原稿を手書きしなくなってから約30年も経つのかと思い至った。同時に漢字が思い浮かばないことにも改めて気づいた次第である。

2021年1月 4日

静かな大晦日と元日

 暮れから正月にかけて連日、晴天に恵まれた。といっても自分が住んでいる東京の日野市周辺のことに過ぎない。日本海側では北海道から九州まで大雪に見舞われた地域が多い。

 気象庁の発表では「数年に一度の寒波」が日本列島のほとんどを覆っているようだ。日野の近辺でも12月30日の午後から冷え込みが厳しくなり、31日は特に寒く感じた。毎朝のランニング+ウォーキング中に多摩川や浅川をみても流れの緩い岸辺では薄く氷が張っているところがある。

 そのような中で、今年は近年になく静かな大晦日と元日になった。例年だと暮れから正月にかけて長男か長女のどちらかが孫たちを連れてきて泊っていく。両方の一家が同時に泊まることもある。だが今年はコロナの問題もあって、大晦日から元日にかけては泊りがけで誰も来なかったから静かだったのである。考えてみると、一番大きい孫が10歳なので、約10年ぶりの静かな大晦日と元日になった。

 元日の朝は、多摩都市モノレールの万願寺駅の近くから多摩川の土手を走って日野橋を渡り、立川市の競技場から国立市の谷保天神の方を回った。約2時間のコースである。いつもより遅い時間に出発したので、谷保天神に着いたのは9時頃だった。前日の大晦日の朝も同じコースで、朝7時ころ谷保天神に参拝した時には正月用の準備がほぼ整っていた。三が日の参拝は分散するようにといわれていたが、それでも元日は人出が多いだろうから様子を見るだけで帰ろうと思っていたのだが、予想に反して2、30人しか並んでいなかったので、大晦日と元日の2日連続で参拝することにした。

 それにしても、神社などでは正月三が日の「売上」が年間収入のかなりを占めるはず。コロナ禍の影響は神社などにも及んでいる。神様、なんとかしてください。

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