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2021年2月15日

公明正大!?

 東京オリンピック・パラリンピック組織委員会における、森会長辞任と新会長の人選を巡る一連の動きは、社会の裏側の仕組みを白日の下にさらけ出した。事の発端は森喜朗氏の問題発言で、女性蔑視だと国際的にも批判を浴びることになった。これは森氏に限らず日本社会におけるジェンダー平等やダイバーシティーなどへの潜在的な意識水準を如実に表した出来事といえる。

 次には政治決着という問題だ。菅政権や組織委員会などは当初、森氏が謝罪して会長続投のまま早期に鎮静化が図れると甘く考えていたようだ。国際オリンピック委員会(IOC)も森氏の謝罪で一件落着と一度は表明した。ところが、IOCは手のひらを返した。実にドライな豹変である。

 では、なぜ辞任に追い込まれたのだろうか。一見、世論が事態を動かしたかのようだが実態は違う。世論の力も否定はしないが、決定打となったのはスポンサーの意向ではないか。「オリンピック精神」なるものの本質が露わになったといえる。なお、IOCのバッハ会長、組織委員会の森会長、橋本五輪相との4者会談への不参加を表明した小池都知事の言動は、世論の動向をみて、ここで不参加を表明したら人気取りに有利になるという単なる打算のパフォーマンスだったと思う。

 一連の騒動で割りを食ったのは川淵三郎氏である。森氏との会談の後でマスコミに取り囲まれ、「正式に決まっていない」という前提ながら「最後の御奉公」と語った。だが、「高齢である」、「密室で決めた」、「選出過程が不透明」といった様々な批判が噴出した(不思議なことに森氏が会長に就任した時には、高齢、密室、不透明などの声がほとんど聞かれなかった)。そして「若い人が良い」、「女性が良い」、「公明正大な手続きが必要」などの意見が百出した。その結果、川淵氏は辞退を表明することになった。

 この過程で川淵氏の「最後の御奉公」という言葉が印象深かった。単に年齢的なことだけではないだろうと受け止めたからだ。まずオリ・パラが開催できるか否かという問題がある。中止になれば開催派からは必ず批判が出る。一方、開催となっても通常通りの形では難しく、どのような方式かで意見が分かれ、結果的には批判される。このように、どんな結末になろうとも批判を免れることはできない。誰がなっても新会長は汚れ役である。また、大きな力を持つスポンサーや、平然と手のひら返しをするIOC関係者などとも渡り合わなければならない。つまり将来、様々な公職に就く可能性を秘めた若い人を会長にして、経歴にキズを付けることになってはいけない。川淵氏の「最後の御奉公」という言葉には、年齢的なことだけでなく、自分が泥をかぶって身を引く、という意味も含まれていたのだろうと恣意的に解釈している。

 それにしても「政治的空白は避けなければいけない」という名分で、党員投票もせずに自民党総裁になった総理とその閣僚たちから、密室談合はダメとか、人事の公明正大さといった発言が出るのだから滑稽だ。「若い人」や「女性」、「選出プロセスの透明性」などはもっともらしい建前に過ぎない。無観客であってもとにかくオリ・パラを開催したい菅政権にとっては、自分たちの意向を汲むような会長にしたいというのが本音だろう。それを「俯瞰的」「総合的」判断による人選というらしい。奇しくも様々な組織の人選への介入の実態までもが見えてきた。

 このように東京オリ・パラは完全に政争の具になってしまった。「社会の裏側」が垣間見えた騒動である。

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