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2021年3月15日

ざぶん、どぼん

 最近は「週刊文春」の活躍が目立つ。新聞など「エリートジャーナリズム」は何をしているのか。記者クラブに加盟していると「秩序維持」のための自主規制が働いたり、番記者などは取材対象への密着度が高いので「忖度」が生じる。そこで「文春」のスクープを後追いすることになるが、その方が「最初に書いたのは自分ではありません」と報道しやすい面もあるのだろう。だが、ジャーナリズムは囲い込まれず、常にアウトサイダーを心掛けなければいけない。「文春」スクープの中でも総務省官僚の接待問題では過去の経験などを思い出した。

 接待された官僚が「相手が関係者とは知らなかった」とは白々しい。キャリア官僚は相手が誰だか分からなくても誘われればタダで飲み食いするというのか。また、会食中には一般的な会話で許認可などに関わる具体的な話しはなかったとしているが、接待の場で具体的な要請をするほど野暮な接待者はいない。阿吽の呼吸というものだ。もう一つ、東北新社(あるいは子会社)が接待日かその前日ぐらいに、デパートから商品券を購入していないかどうかを調べれば、飲食代やタクシー代、お土産の他にも何かが出てくる可能性がある。

 そもそもキャリア官僚は危うきには近寄らない。この時期にこの誘いは何が目的かなどお見通しで、リスクの大きい接待には応じないはずだ(政治家が間に入ると別だが)。リスクとは出世の障害になる危険性である。それにも関わらず接待に応じたのは、接待を断る方がリスクが大きいからだ。接待を断って「パパに言いつけられる」と出世コースから外されてしまう。だから接待に応じたと解釈するのが普通だろう。

 だが過去の経験から、総務省の電波行政に関わる官僚ならさもありなん、という思いもある。四半世紀も前のことだ(日付けはあえて省略)。郵政省(当時)の電気通信局電波部のあるキャリア官僚に座談会への出席をお願いした。了承を得て帰ると、待っていたかのようなタイミングでその部下から電話が入った。「座談会出席の謝礼はいくらか」という問い合わせである。これには驚いた。仕事の関係で運輸省(当時)のキャリア官僚には同様のお願いなどを何度(何人に)もしてきたが、謝礼云々と言われたことなど無かったからだ。今様に言えば「上司の口から言わせるわけにはいかないので私が代わって電話した」ということだろう。部下から連絡が入るということは、個人ではなく組織的な体質の問題であることを証明している。その時、電波の許認可には利権が絡むという一般論が実感として分かった。

 官僚の接待ということでは、1998年の大蔵官僚(当時)の「ノーパンしゃぶしゃぶ」を思い出す。また日銀絡みでは、「ざぶん(1人1万円)」と「どぼん(1人5万円)」というのもあった。「ざぶん」も「どぼん」も人が水に飛び込んだり物が水に落ちたりする音だ。だが、「水に…」と発想するのはノンキャリで、「ぬるま湯に…」と頭に浮かべば立派なキャリアだ。

 「ぬるま湯につかる」とはよく言ったもので、1度つかるとなかなか出れなくなる。先人のたとえはキャリア官僚より先をいっている。

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