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2021年4月

2021年4月26日

1週間が早いこと

 最近は1週間が過ぎるのを早く感じる。週に2、3日は取材などで出かけるが、それ以外はリモートによる外部との接触が多くなってきた。そんなことで時々、今日は何曜日だったかをすぐに思い出せないこともある。だが気がついて見ると、あれ、もう1週間も経ったのか、早いなと感じるのである。

 取材などで外出する時も朝の通勤時間帯に電車に乗ることはほとんどなくなった。ピーク時を過ぎた車内は空いているのでたいていは座れる。でも毎日、電車に乗っていないと、けっこう疲れるものだ。いなかで農業や商売をしていたり、専業主婦を長年している同級生たちが、電車に乗って出かけるのは億劫だし疲れると言っていたが、最近はその気持ちが分かるようになってきた。同時に、これまでは毎日、こんなに長い時間を電車移動に使っていたのかと感じるのである。

 さらに事務所に通って仕事をしていた時と比べると、財布の中の金の減り具合が少なくなった。一番の理由は昼食代だろう。家で仕事をしている日は、昼は残ったご飯を食べる。すぐ近くに食品スーパーがあるので、気分転換を兼ねておかずだけ買ってくるが、外食のランチよりはずっと安上がりだ。それに、付き合いで夕食を外で食べることも全くと言って良いほどなくなったので金がかからない。

 もう、今週の後半からはゴールデンウィークに入る。コロナで外出を自粛する人が多いだろうが、GW中はどのように過ごすのだろうか。また、それに伴って例年のGWよりも外食などが少ないだろうから、観光業や飲食業の人たちにとっては稼ぎ時なのに大きなダメージだ。さらに、いつもならGW中はアルバイトをしていた学生なども仕事がなくて大変だろう。

 当方は毎年、GW中でもほとんど仕事をしていた。その点では今年も大きな変化はない。だが外的環境が違っている。これまでは多くの人たちが遊びにいく姿を見ながら事務所に通って仕事をしていたからGWを長く感じていた。今年は例年よりGWが過ぎるのを早く感じるかも知れない。

2021年4月19日

我が亡き後に……

 前回の当コラムでは「まん延防止」を書いた。大阪、兵庫、宮城に加えて、UP当日(4月12日)から東京、京都、沖縄にも「まん延防止等重点措置」が適用になったからである。さらに明日(4月20日)からは神奈川、千葉、埼玉、愛知の4県にも適用になる。それでも政府は4県への追加適用の時点ではまだ第4波とは認めず、緊急事態宣言を発令せずに「まん延防止」段階であることにしたいようだ。何が何でもオリンピック・パラリンピックを開催したいからであろう。国民の健康や生命よりも、現政権の存続を優先しているからに他ならない。

 東京オリンピック開催の賛否や、福島第一原発の汚染水の海洋放出の是非、その他、最近の世相から頭に浮かぶ言葉は「我が亡き後に洪水よ来たれ」である。一般的には、今さえ良ければ後はどうなってもかまわない、と解釈されている。「後は野となれ山となれ」ということだ。ともかくオリ・パラを開催してその直後に衆院を解散する。総選挙で総裁(総理)交代の声が出ない程度の議席を得れば、その後でパンデミックになろうともかまわない。何よりも政権の延命が第一という姿勢を強く感じる。

 「我が亡き後に洪水よ来たれ」は、ルイ15世の愛人ポンパドゥール侯爵夫人の言葉と言われている。だが、自分には「資本論」第一部(資本の生産過程)、第3編(絶対的剰余価値の生産)、第8章(労働日)の中の「大洪水よ、我が亡きあとに来たれ!」の方が強い印象として残っている(大月書店普及版、岩波書店文庫版、新日本出版社新書版)。また、ジャーナリストの斎藤茂男さんの「わが亡きあとに洪水はきたれ!」(現代史出版)もルポルタージュの名著だ。

 現在の政権的に言い換えれば「オリ・パラと総選挙の後にパンデミックは来たれ」のように観える。そうそう「人新世の『資本論』」(斎藤幸平著、集英社新書)を読んだ。ほとんどの高齢者にとっては「我が亡き後」になるかも知れないが、未来を見つめる若い世代は、人新世=環境危機時代=に地球規模の「洪水」が来ないようにするにはどうするかを真剣に考えている。

2021年4月12日

まん延防止

 今日から特別措置法に基づく「まん延防止等重点措置」が東京にも適用になった。すでに大阪府、兵庫県、宮城県は適用されているが、東京都、京都府、沖縄県が新たに加わった。東京で適用対象になる地域は23区と八王子、立川、武蔵野、府中、調布、町田の6市である。

 自分が住んでいる日野市は対象外の地域だが、八王子とは直接隣接しており、多摩川を隔てて立川、国立とも隣同士だ。毎朝、走ったり歩いたりしているコースの中には、立川、国立、府中があり、時々は八王子や多摩市にも足を延す。日野はまん延防止の適用外ではあるが立川、国立、府中と3つの適用地域にウォーキング兼ランニングで頻繁に行っていることになる。

 さらに仕事では23区によく行く。この1年間は、対面の取材はできるだけ近場だけにしているが、それでも関東圏内の他にもいくつかの県には行っている。自分はかまわなくても、先方に迷惑をかけてはいけないので、取材要請も自ずと「自粛」ぎみになってしまう。とはいっても必要な範囲では動かざるを得ない。まったく住みづらい世の中になってしまったものだ。

 それにしても、このような状況の中でオリンピックの聖火リレーが続けられている。率直に言えば、そんな場合かと思う。そもそもオリンピックを中止すべきかどうか判断しなければならない時期に来ている。無理をして何のためにオリンピックを開催するのか。結局のところ政権維持に利用したいだけではないのか。聖火リレーの実施は開催に向けての既成事実を積み重ねるためだろう。

 そもそもまん延防止等重点措置は、緊急事態宣言を発令したくないから設けられたようなもの。緊急事態宣言ではオリンピック開催がさらに遠のく。緊急事態宣言の手前のまん延防止措置の段階に留めておいて、何とかオリンピック開催を強行したいというのが本音だろう。それにしてもまん延防止では区や市単位で防止策を取るというのに、オリンピック開催となれば国際的な往来になる。それを開催しようというのだ。

 建前では「選手ファースト」を前面に出すだろうが、政権維持のための強行開催こそオリンピックの政治利用に他ならない。選手に同情的なことを言っても、選手は手段として利用されているだけである。スポンサーとの契約では違約金などがあるのだろうと思われる。そのため中止の言い出しっぺには誰もなりたくない。だが、現在のような状況では中止すべきだろう。スポンサーから違約金などを請求されたら、社名といくら払ったのかを公表すれば良い。事情が事情なのに中止の違約金を求めたとなると企業イメージに影響する。逆宣伝効果は大である。

 ともかく、コロナが早く終息することを願うばかりだ。

2021年4月 5日

携帯は不携帯

 先週は中学校で同じクラスだった人たち何人かと電話で話をする機会があった。同学年でも自分たちのクラスだけは結束力があって、ほぼ毎年のように12月の第1日曜日にクラス会を開いてきた。しかし、昨年は先生の米寿のお祝いを兼ねて開く予定だったが、コロナ禍でそれどころではなくなった。現在の状況からすると今年もクラス会は難しいのではないかと思われる。

 そんな中で、先週は自分がフジテレビの「バイキングMORE」(3月31日)にライブで出た。昨年は1月に日本テレビの「ZIP!」で簡単なコメントをしただけだったので約1年ぶりのテレビだ。そこで男の連絡網、女の連絡網で伝達してくれ、クラス会の替わりに? その時間帯にテレビを観れる人は見てくれた。その後、ショートメールや電話などで連絡をくれた人たちと話をしたのである。

 その中の1人でショートメールをくれた彼女にお礼の電話をした。当然、スマフォだと思っていたらガラケイで、パソコンなど触ったことがないという。スマフォにしたらと言われているのだが、なかなか踏み切れないらしい。携帯電話会社が無料のフマフォ教室をやっているのは知っているが躊躇しているようだ。

 また、夫が建築関係の自営業の彼女は、回線電話から連絡をくれた。携帯電話はと聞くと、「私は携帯は不携帯」という言葉が即座に返ってきたので笑ってしまった。夫が現場に行っている間は、自宅兼事務所で取引先などからの注文やその他の連絡を回線電話で受けている。だからガラケイをそばに置いているが使っていない。また、外出時にはガラケイを持っていくが、ほとんど使わないという。

 話しによると日ごろの帳簿づけはもちろん確定申告なども全部自分1人でやるのだが、計算は総て算盤で電卓すら使わない。理由は、算盤の方が早くて間違いがないから。電卓で計算すると、よくゼロの数を押し間違えるのだと言う。パソコンの会計ソフトなど全くの論外だ。

 中学校卒業から半世紀以上が過ぎれば、みんな時代の変化についていくのも大変になる。もちろん新しいものを追いかけるのが良いとは限らない。そのように考えると「携帯は不携帯」とは含蓄のある名言かも知れない。

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