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2021年4月19日

我が亡き後に……

 前回の当コラムでは「まん延防止」を書いた。大阪、兵庫、宮城に加えて、UP当日(4月12日)から東京、京都、沖縄にも「まん延防止等重点措置」が適用になったからである。さらに明日(4月20日)からは神奈川、千葉、埼玉、愛知の4県にも適用になる。それでも政府は4県への追加適用の時点ではまだ第4波とは認めず、緊急事態宣言を発令せずに「まん延防止」段階であることにしたいようだ。何が何でもオリンピック・パラリンピックを開催したいからであろう。国民の健康や生命よりも、現政権の存続を優先しているからに他ならない。

 東京オリンピック開催の賛否や、福島第一原発の汚染水の海洋放出の是非、その他、最近の世相から頭に浮かぶ言葉は「我が亡き後に洪水よ来たれ」である。一般的には、今さえ良ければ後はどうなってもかまわない、と解釈されている。「後は野となれ山となれ」ということだ。ともかくオリ・パラを開催してその直後に衆院を解散する。総選挙で総裁(総理)交代の声が出ない程度の議席を得れば、その後でパンデミックになろうともかまわない。何よりも政権の延命が第一という姿勢を強く感じる。

 「我が亡き後に洪水よ来たれ」は、ルイ15世の愛人ポンパドゥール侯爵夫人の言葉と言われている。だが、自分には「資本論」第一部(資本の生産過程)、第3編(絶対的剰余価値の生産)、第8章(労働日)の中の「大洪水よ、我が亡きあとに来たれ!」の方が強い印象として残っている(大月書店普及版、岩波書店文庫版、新日本出版社新書版)。また、ジャーナリストの斎藤茂男さんの「わが亡きあとに洪水はきたれ!」(現代史出版)もルポルタージュの名著だ。

 現在の政権的に言い換えれば「オリ・パラと総選挙の後にパンデミックは来たれ」のように観える。そうそう「人新世の『資本論』」(斎藤幸平著、集英社新書)を読んだ。ほとんどの高齢者にとっては「我が亡き後」になるかも知れないが、未来を見つめる若い世代は、人新世=環境危機時代=に地球規模の「洪水」が来ないようにするにはどうするかを真剣に考えている。

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