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2021年8月

2021年8月30日

「夏が過ぎ」を実感

 昔はお盆を過ぎると夏の盛りが過ぎたことを実感したものだ。子供のころの関東地方は、夏でも30℃を超える日はそれほど多くなかった。記憶では30℃を超える日はひと夏に数日ほどだったのではないだろうか。そのうち1、2回は32℃ぐらいになる日があったが、ニュースでは今年の最高気温といっていたものだ。

 そんな昔の子供のころは、お盆を過ぎると同じ暑さでもお盆前とは少し違って感じられた。湿度が低くなって多少は過ごしやすくなってくるからである。また、8月半ばを過ぎると日ごとに朝夕の気温が下がり、日中でも木陰に縁台をだして座っていると微風が清々しく感じられた。徐々に秋が近づいてくると同時に、もうすぐ夏休みが終わって9月1日からは2学期か始まるのか、と思ったものだ。友達に会える楽しみと、また勉強の毎日かという思いが入り混じった複雑な心境になったことを思い出す。

 しかし最近は、9月になっても猛暑の日が続くようになった。少しずつ秋を感じるということがなくなり、夏から一気に初冬という感じになるのが昨今のパターンだ。だが、今年の夏は異常だった。お盆の時期に長雨になって各地に大きな被害をもたらした。そして長雨が終わると再び猛暑が続く。

 まだまだ残暑が厳しい毎日だが、今年の夏も終わったなと実感したのはお盆が過ぎてすぐだった。今夏は長女の方の孫が2人、学童保育などの関係もあって2週間ほど泊まりに来ていた。また、最後の日には長男の方の孫2人も合流して4人が楽しそうに遊んでいた。だが、孫が全員帰って急に静かになった途端、今年の夏も終わったなという思いが湧いてきたのである。

 だが、秋に向かって仕事に精を出さなければならない。コロナ禍にあっても今秋は何かと忙しくなりそうな予感がする。

2021年8月23日

かさむ修理費用

 自動車や機械類などは古くなるほど修理費用がかさんでくる。人間も同じだ。歳をとるごとに医療代が増えてくる。

 先日、昼頃に中腰になって机のまわりで探し物をしていたら、すぅーっと腰の力が抜けたような感覚になった。そして立ったり座ったりするのが難儀になってしまった。痛みはそれほどではないのだが、違和感があって力が入らない。こんなことは初めての経験である。

 翌日の朝はランニング&ウォーキングも止めて、体を動かす時にはゆっくりとした動作で1日を過ごした。3日目の朝に近くの整形外科に行って診察してもらった。レントゲン写真を見たら、腰椎の4番目と5番目の間がズレたようになっていた。シップ剤と痛み止めの薬、それに腰ガードベルトをもらってきた。シップ剤は汗でかぶれるようなら貼らなくても良いし、痛み止めの薬は痛くなければ飲まなくても良い、ということだった。腰ガードベルトも汗をかいたら外してもかまわない。それにあまり腰ガードベルトをしたままだと腹筋力などが弱まるということだった。結局、外出時などにはしないことにした。毎朝のランニング&ウォーキングもしばらくは中止し、気をつけて生活していると、少しずつ良くなってきた。

 おそらく、毎日走ったりしていたので、着地時の衝撃が足から腰に伝わり、そのストレスが腰椎に蓄積して歪ができたのではないか、と自己診断した。思い返せば、足のバランスを崩して少しフラっとするようなことが時々あった。あれは予兆だったのか。

 いずれにしても「故障個所」と「故障状態」が分かれば、対処方法が分かるので心理的には落ち着ける。しばらくの間は、ランニング&ウォーキングは休むことにし、体もゆっくりと気をつけながら動かすことにしよう。

 それにしても、歳をとるほど「修理代」がかかるようになってくる。人間も機械と同じだ。

2021年8月16日

医療体制崩壊

 毎日、毎日、コロナ感染者が増加している。実質的に医療体制は崩壊しているというのが実態だ。

 「人類がコロナに打ち勝った証」のオリンピックを開催し、「安心・安全な大会の実現」で大成功! だったはずだ。しかし現実は医療体制の崩壊である。選手や大会関係者の感染防止に要したエネルギー、動員した医療従事者、費用などを国民の健康と命を守るために注いでいれば、感染状況が変わっていただろう。

 入院は重症患者や重症化リスクの高い人だけにして、それ以外の人は自宅療養をするように、という方針を政府が打ち出した。しかし、世論の批判を受けて解釈が二転三転している。いずれにしても医療体制の崩壊を政府自らが認めたに等しい。

 中等症や軽症の感染者を自宅療養にすれば、感染者が増えれば増えるほど「人流」は減少する! なるほど、前々から「スティホーム」と叫んでいた人がいたが、凡人にもやっとその意図するところが理解できた。同時に、中等症や軽症の感染者は自宅で療養しろというのは、コロナに感染しても「公助」や「共助」に頼るな。「自助」で何とかするのが真の日本国民だ、ということだろう。やはり先見性のある人たちは違う。いずれも国や都のリーダーに相応しい方々だ。

 ところで自民党の総裁選だが、「政治空白をつくってはいけない」、という声が自民党幹部の中から出ている。だが、凡人からすると現在が実質的な「政治空白」のように思える。また、コロナ対策など、誰が総理をやっても難しいのだから総裁・総理を代える必要はない、という意見もあるようだ。コロナ対策などが難しいのは事実だが、総理を他の誰に代わっても今よりはましだと凡人は考える。だが、やはりリッパな先生方の考え方には遠く及ばないようだ。

2021年8月 9日

久々の大阪出張

 関東圏以外に出かけるのは10カ月ぶりぐらいだろうか。久々に大阪を日帰りした。それも前日の午後に「明日の午後なら時間が取れます」と秘書の人から電話が入り、急遽、出張することになったのである。当日の午前中は前々から予定が入っていたので、東京駅から新幹線に乗ったのが12時10分前だった。また、翌日は都内で予定が2件あるので日帰りにし、家に帰ったのは夜遅かった。あわただしい1日だったが、タイトなスケジュールに追われていた方が精神的には充実感があるから不思議だ。だが、体力的には昔のようなわけにはいかない。

 東京駅や新大阪駅の構内、また新幹線の中は、昨年のこの時期に比べると少しは人が多いように感じる。だが、コロナ以前の一昨年の夏休み期間と比べるとずっと人が少ない。新大阪駅から乗ったタクシーの運転手も、「駅で待っていても人が降りてこない」とぼやいていた。帰りも取材先から新大阪駅までタクシーを利用したが、やはり運転手が「夜の客がいなくなったので売上が大きく落ち込んでいる」と嘆いていた。「タクシーは歩合制ですから、私は年金をもらっているから何とかなるが、若い人では食べられませんよ」という。そこで話題はコロナのワクチン接種に関する政府の迷走になった。

 大阪を日帰りした翌日、先の用件を済ませて2件目の会社に行くと、記者会見というのに記者席は間隔を開けて5つしか用意されていない。リアルでの参加希望者は5人だけで、あとはリモート参加なのだという。IR・広報課長が「リモートでも良かったのにわざわざお越しいただいて」というので、「外出するリハビリを兼ねてきました」と答えておいた。それにリモートでは集中できないし、逆に精神的には疲れる。

 外出のリハビリは大げさとしても、大阪まで行くだけなのに何番線だったかな、などとけっこう戸惑ったりした。飛行機には1年半以上乗っていないので、今度、飛行機に乗る時には空港でうろうろするかも知れない。

2021年8月 2日

スポーツの原点と邪心

 最近はテレビを観る時間が減った。多くのチャンネルでオリンピックを放送しているが、これまでのように素直な気持ちで競技を見る気がしないからだ。かといってオリンピック以外の番組を放送しているテレビ局は少ないし、それに観たいと思う番組がほとんどない。

 だが、テレビのニュース番組は観るし、新聞も毎日読むので日本人選手の活躍などは知ることができる。そんな中で先日、スケートボードの女子ストリートで西矢椛選手が13歳10カ月という、日本人では最年少で金メダリストになったというニュースには驚いた。一番、驚いたのは彼女の笑顔である。自分の好きなこと、やりたいことを夢中でやっているという純粋な笑顔だった。スポーツを営利追求の手段にしたり、国威発揚や政権の延命に利用しようといった邪心とは無縁の笑顔である。スポーツの原点を見たような爽やかさを感じた。

 前回、松尾芭蕉の「おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな」の句をパクって、「虚しくてやはり悲しき五輪かな」と書いた。日本代表の選手の人たちには申し訳ないが、鵜舟の上でタタキアゲの鵜匠が、「メダルをたくさんくわえて浮き上がっておいで。メダルが1つでも多いほど自分も浮揚できる」とずる賢くほくそ笑んでいるような構図が頭に浮かんできたからである。

 鵜飼を見学して面白がっていた人たちも、一時の宴が終わって岸辺に戻ったら、そこにはパンデミックという現実が待っていた。そんなことにならなければ良いのだが。

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