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2021年9月

2021年9月27日

通勤電車・通勤時間

 事務所を閉鎖してから1年3カ月が経つ。コロナがなければ、場所は移したかも知れないが、今でも事務所をおいていただろう。だが、結果的には事務所をなくして良かったと思う。反面、失ったものもあるような気がしてきた。

 事務所の閉鎖に伴って毎日の「通勤」がなくなった。取材などには家から直接相手先に向かう。毎日、毎日の定期的な通勤がなくなると、当然、通勤電車による通勤時間もない。その分の時間をウォーキングにしたので健康には良いと思う。

 だが最近、通勤電車での通勤時間がなくなったので、同時に何か失ったものがあることに気づいた。視覚をはじめ五感によって感知する社会の変化などが「観えにくい」のである。感覚が鈍り、鈍感になってきたのだ。

 通勤電車に乗っていると、それだけで無意識のうちに世の中の僅かな変化をほぼリアルタイムで感知することができる。通勤者が着ている服装や履いている靴などの僅かな違い、持っているカバン、腕時計その他から感覚的に察知していた何かがあった。通勤を止めて、それらを失ったことが分かってきたのである。あらためて気づいたのは、これまでは五感を通して様々な刺激を受けていた、ということだ。それがなくなってしまった。

 さて、その分を補うにはどうしたら良いか。いろいろ試してみようと思う。それもまた楽しい。

2021年9月20日

遠出できない閉塞感

 今年の9月は、昨年と比べると全体的に気温が低いように感じる。だが、雨の日が多く、湿度が高いと過ごしにくい。そのような中でも取材で外出をしなければ仕事にならないので、それなりに出かけている。だが、コロナ禍で遠出はひかえざるを得ないのがつらい。

 取材で人と会って話をするのは楽しいものだ。自分ではあまり考えないが、おそらく取材が好きなのだろう。とはいっても初めての人を訪ねる時などは、けっこう心理的負担がある。これまで会ったことのない人でも、取材の主旨を説明すと比較的容易にアポイントを取ることが出来るのでありがたい。だが逆に、だからこそ取材が怖くなる。上手く話を聞きだせるだろうか、ポイントに深く切り込めるだろうか、その他、諸々の不安が常につきまとう。実際、後になって聞き忘れに気づくことがしばしばあり、いつも反省している。それでも様々な人に取材をするのは楽しいものだ。

 だがこの間、コロナ禍で全国を気ままに歩き回ることが出来ない。先方のことを考えると、遠方の取材はついつい遠慮してしまう。だからコロナ下では関東圏内ぐらいでの取材にならざるを得ない。コロナが終息したら久しぶりに会いたい、といってくれる人が各地にいる。早く気楽に全国各地を巡って取材したいと思う。

2021年9月13日

同時多発テロから20年

 20年前の9月11日、アメリカで同時多発テロが起きた。アメリカン航空11便がニューヨークのワールドトレードセンター・ノースタワーに激突。続いてユナイテッド航空175便がサウスタワーに突っ込んでいった。ノースタワーを映していたニュース番組のテレビカメラが、サウスタワーにユナイテッド機が激突する瞬間をとらえた。日本のテレビのニュース番組でも、高層ビルに向かって突き進んでいく航空機の姿を放送。航空機の激突から間もなくノースタワーが崩壊していく様は、あたかも映画の一シーンのように思えた。

 同時多発テロでは、さらにアメリカン航空77便がバージニア州アーリントンの米国防総省に激突。さらにハイジャックされたユナイテッド航空93便がペンシルベニア州シャンクスヴィルに墜落した。

 当時のブッシュ大統領はアルカイダによるテロと断定。アフガニスタン紛争が勃発した。アメリカ軍はアルカイダの指導者であるオサマビン・ラディンを首謀者として追跡し10年後に殺害した。この紛争で進駐した駐留アメリカ軍が8月末にアフガニスタンから撤退した。アフガニスタン国内ではアメリカ軍が撤退する以前から再びアルカイダが実権を握り、同時多発テロ20年の直前に暫定政権の樹立を発表した。

 20年前にテレビで衝撃的なニュース映像を観ながら、同時に別の思いが頭の中を駆け巡っていた。それは「行けるか、行けないか」、「行くか、止めるか」だった。何事もなければ、同時多発テロが勃発した1週間後にニューヨークに到着する予定だったのである。できれば行きたいが、難しいだろうな、どうすべきかな、とニュースを観ながら逡巡していたのだ。

 だが翌日には、訪問予定だった各企業から「日本から来られても対応できる状況にない」という連絡がエージェントを通して入ってきた。それで中止を決断することができた。また、テロ勃発時に知り合いの一行がニューヨークにいるのを知っていたので、後日、連絡したら帰途につく直前にテロが発生して足止めになり、急遽、宿泊先を確保して何日間か現地に留まったということだった。あれから、もう20年が経った。

 ところでアフガニスタンの在留邦人の帰国や、アフガニスタン人の国外退避支援者の国外脱出はあまり進んでいないようだ。日本政府の脱出支援は失敗といって良い。だが、その責任を野党も追及しているようには見えない。さらに、このような事態をマスコミは独自取材でもっと取り上げるべきなのに、記者会見などでも質問していないようだ。この20年間で、日本の外交はどれだけ変わったのだろうか。

2021年9月 6日

当コラム500回

 2012年1月9日から書き始めた当コラムも、毎週月曜日のUPで1回も欠かさず書き続け、今回で500回目になった。早いもので約9年9カ月が経ったことになる。そこで今回は何を書こうかと考えたのだが、「デジタルの便利さと怖さ」にした。

 取材などで何カ所かを回る予定で、最寄りの多摩モノレールの万願寺駅にいった。Suicaの残金は2000円ぐらいあったが、改札を入る前にチャージしようと券売機にSuicaを入れて現金を入金した。しかし、券売機が故障のようでカードが戻ってこない。ボタンを押して呼び出しをするようにと表示されている。万願寺はほとんどの時間帯が無人なので、「できるだけ早くモノレールで駅員を向かわせるので待ってください」という。だが、上り、下り両方のモノレールが何回か来ているのに、なかなか駅員が来ない。イライラしてまた呼び出しボタンを押して「まだか」といったら、「もう少し待っていただいても良いでしょうか」という。そこで「良いも悪いも待たないわけにはいかないだろう」と少しきつめにいった。

 やっと駅員がきて、券売機からSuicaと現金を出し、違う券売機でもう1度チャージしてくれという。だが、どの券売機でやっても同じ結果になる。結局、Suicaの裏の部分が「擦れてかすれているので読み込めないのだろう」という。残金があるので立川まで行ってJRの駅で見てもらってくれという。そんなことでモノレールに乗るまでに40分以上かかってしまった。JR立川駅では駅員に話す前に試みに券売機でチャージしたら問題なく入金できた。余裕をもって少し早めに家を出たので、ほぼスケジュール通りに行ったから良かったが、ムダな時間を費やした。

 それはともかく万願寺駅で駅員とやり取りしている時に、一瞬、えっ! と驚いた。Suicaの過去の使用データが表示されて、何月何日何時に何々駅でいくら、という一覧が表示されたからである。Suicaに限らずカード類を使えば記録が全部残ることは理屈では分かっている。だが自分が電車やバスに乗降した記録が目の前に一覧で表示されると、改めて恐ろしさを実感した。

 運賃だけでなくコンビニなどでの購入記録、飲食店の支払いなどもカード決済していると記録が残る。さらにパスポート、健康保険証、運転免許証などもマイナンバーで一括され、これらを全部スマフォで行っていると、GPSの軌跡も含めてその人の行動を総てトレースできる。このデータを入手してAIでこれから先の行動パターンを予測すれば、その人とほぼ同じ行動を先行できるようになる。その行動パターンに沿って自然な形で犯罪を組み込めば冤罪をでっちあげることも可能だ。デジタル化は便利な反面、リスクも覚悟して利用しなければならない。

 なお、9月1日からデジタル庁が発足した。その人物がその役職に相応しい経歴なのか否かの判断や、発注業務の不正入札防止ぐらいアナログでもできるだろうと思うのだが…。

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