ニャン子の「ニャン生」
散歩をしていると何人もの犬を連れた人たちに出会う。だが猫を連れて散歩している人はいない。そのかわり飼い猫や野良猫とはよく遭う。
散歩コースは毎朝変えている。いくつかの定番コースがあるが、その途中でニャン子を見かけることがある。飼い猫は家の前の歩道を余裕しゃくしゃくに歩いていたりする。野良猫も決まったねぐらがあるようで、いつもほぼ同じところで同じニャン子と顔を会わせる。
たとえば河川敷の草むらや雑木の間の小道、あるいは公園だったりする。そのうち顔なじみになり、今朝もあのニャン子がいるかなとみると、じっとこちらを見ていたりする。だが、声をかけながら近づくと遠ざかってしまう。猫は人間と適度な距離間を保っているようだ。そしていつの間にか姿を見なくなってしまうニャン子もいる。その場所を通るたびに、あのニャン子は自然に帰って行ったのかも知れない、と思ったりする。
だが、多摩川の堤防わきの競技場の外側の藪に住んでいたニャン子は違うようだ。いつも決まった時間になると、近所に住んでいるのだろうと思われる若い女性が自転車できてそのニャン子にエサをあげていた。毎日まいにち同じキャッツフードのようだったがよく飽きないものだ。ニャン子もなついて、じっと動かずに毛づくろいをしてもらっていた。だが、ある日気づくとお姉さんもニャン子も全く見かけなくなった。推測だが、お姉さんが引っ越す時にニャン子を一緒に連れて行ったのではないかと思う。
そんなニャン子たちをみていると、野良猫と飼い猫とどちらが幸せなのだろうかと考える時もある。野良猫は自由だが、自然が少ない環境ではエサを捕獲するのが大変だろう。とくに冬場はエサに乏しく、しかも寒い。だが、それが本来の姿である。その点、飼い猫はエサに心配はない。しかも飼い主であっても程よい距離間を保ちながら、気ままに生きているようにみえる。
1週間に1度ぐらい競技場の脇を通るが、いつもあのお姉さんとニャン子のことが頭をよぎる。先日(11月26日)の朝もその場所で、お姉さんがニャン子にエサをあげていたことを思い出した。今はどこで暮らしているのだろうか。きっと可愛がってもらっているだろう。早朝の散歩では1日いちにちと冬の到来を実感する。だが、あのニャン子は小春日和の陽だまりでスイスイと気持ちよさそうに昼寝でもしていることだろう。どこで暮らしていても幸せな「ニャン生」であることを祈っている。
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