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2021年11月

2021年11月29日

ニャン子の「ニャン生」

 散歩をしていると何人もの犬を連れた人たちに出会う。だが猫を連れて散歩している人はいない。そのかわり飼い猫や野良猫とはよく遭う。

 散歩コースは毎朝変えている。いくつかの定番コースがあるが、その途中でニャン子を見かけることがある。飼い猫は家の前の歩道を余裕しゃくしゃくに歩いていたりする。野良猫も決まったねぐらがあるようで、いつもほぼ同じところで同じニャン子と顔を会わせる。

 たとえば河川敷の草むらや雑木の間の小道、あるいは公園だったりする。そのうち顔なじみになり、今朝もあのニャン子がいるかなとみると、じっとこちらを見ていたりする。だが、声をかけながら近づくと遠ざかってしまう。猫は人間と適度な距離間を保っているようだ。そしていつの間にか姿を見なくなってしまうニャン子もいる。その場所を通るたびに、あのニャン子は自然に帰って行ったのかも知れない、と思ったりする。

 だが、多摩川の堤防わきの競技場の外側の藪に住んでいたニャン子は違うようだ。いつも決まった時間になると、近所に住んでいるのだろうと思われる若い女性が自転車できてそのニャン子にエサをあげていた。毎日まいにち同じキャッツフードのようだったがよく飽きないものだ。ニャン子もなついて、じっと動かずに毛づくろいをしてもらっていた。だが、ある日気づくとお姉さんもニャン子も全く見かけなくなった。推測だが、お姉さんが引っ越す時にニャン子を一緒に連れて行ったのではないかと思う。

 そんなニャン子たちをみていると、野良猫と飼い猫とどちらが幸せなのだろうかと考える時もある。野良猫は自由だが、自然が少ない環境ではエサを捕獲するのが大変だろう。とくに冬場はエサに乏しく、しかも寒い。だが、それが本来の姿である。その点、飼い猫はエサに心配はない。しかも飼い主であっても程よい距離間を保ちながら、気ままに生きているようにみえる。

 1週間に1度ぐらい競技場の脇を通るが、いつもあのお姉さんとニャン子のことが頭をよぎる。先日(11月26日)の朝もその場所で、お姉さんがニャン子にエサをあげていたことを思い出した。今はどこで暮らしているのだろうか。きっと可愛がってもらっているだろう。早朝の散歩では1日いちにちと冬の到来を実感する。だが、あのニャン子は小春日和の陽だまりでスイスイと気持ちよさそうに昼寝でもしていることだろう。どこで暮らしていても幸せな「ニャン生」であることを祈っている。

2021年11月22日

千代ケ崎砲台跡

 神奈川県横須賀市の千代ケ崎砲台跡に行ってきた。史跡の東京湾要塞跡を構成する砲台の1つである。2019年12月23日づけで書いた「猿島(横須賀市)」にも猿島砲台跡があった。その他にも三浦半島にはたくさんの砲台跡がある。

 パンフレットによれば日本の要塞は明治13年に建設が始まり、明治28年公布の要塞指令部条例第一条で法的に「要塞」が定義されたという。明治20年代には下関、由良、対馬の3要塞が建設され、30年代には函館、舞鶴、佐世保などにも建設された。その他にも多数の要塞が造られたが、日本で最初に造られたのは、明治10年代に建設された東京湾要塞である。いずれにしても東京湾の入り口である浦賀水道は東京の防衛上の要衝だったことが分かる。

 実は千代ケ崎砲台跡が一般公開されていることを知らなかった。やはり史跡である燈明堂跡に久しぶりに行ってみようと思って出かけたのだ。すると、燈明堂跡に行く少し前の分かれ道のところに千代ケ崎砲台跡が公開されているという案内が出ていたので行ったのである。

 燈明堂は浦賀港西岸の先端にあった。慶安元年というから1648年に建てられたその当時の灯台である。そのころは夜間の光があまりなかったので、対岸の房総半島まで灯が届いたという。その燈明堂は明治初期になくなり、石垣だけが残っていた。この石垣が1968年に横須賀市指定史跡となり、現在の燈明堂は1988年に、その石垣の上に復元されたものである。

 いずれにしても、久しぶりに海を眺めることができ、気分がリフレッシュした。

2021年11月15日

久々の北海道

 この間は、コロナ禍で行動範囲が狭くなっていた。まだまだ注意を怠ることはできないが、それでも少しずつ行動範囲を拡げていかなければいけない。そんなことで先週は2泊3日で北海道に行ってきた。北海道は2年4カ月ぶりである(当コラムの2019年7月22日づけで『富良野駅』を書いて以来)。

 8月以降は、大阪、熊本、神戸と出張しているが、いずれも日帰りだった。宿泊の伴う出張は久々である。そのためチグハグな動きで、自ら笑ってしまう。まず朝の出がけである。最寄駅からモノレールに乗り1駅いったところで名刺を忘れたことに気づいた。一瞬、どうしようか、面倒だからこのまま行ってしまおうか、という気になった。しかし、「名刺を忘れました」はまずいだろうと思いなおして家に戻った。時間的には余裕をもって家を出ているので、フライトの時間などは心配ない。結果的には出張期間中に21名の人と名刺を交換したので、やはり戻って良かった。

 次は羽田空港でのことである。チェックインしようとしたのだがNGで何度やっても入れない。よく見たらANAマイレージカードではなく、JRのViewカードで入ろうとしていたのだ。そばに立っているANAの女の人に笑われてしまった。

 さらに搭乗案内が予定より遅れ、飛行機に乗ってもなかなか出発しない。アナウンスによれば「鳥と航空機が衝突したので4本ある滑走路のうち1本が閉鎖され、順番待ちで離陸が遅れる」ということだった。結局30分遅れだったが、まぁ、まぁ、いろいろあるものだ。

 北海道ではあまり天候に恵まれなかった。そのような中でも久々に中島公園を散歩できたのは良かった。札幌に来ると必ずと言って良いほど中島公園にいく。今回はホテルが札幌パークホテルだったので中島公園はすぐ隣である。2年4カ月ぶりに1時間ほどブラブラすることが出来た。

2021年11月 8日

動き回れる喜び

 先週は神戸を日帰りした。今日はこれからすぐに家を出て札幌に行く。来週は浜松から名古屋を回る予定だ。コロナが完全に終息したわけではないので要注意だが、少しずつコロナ前の日常に戻りつつある。だが、注意を怠ってはいけない。それにしても、まだ制約があるとはいえ、自由に動き回れることが精神的にこんなに開放感のあるものだとは思わなかった。

 コロナ禍の間に、精神的にも身体的にも急速に老い込んだ。とくに事務所を閉鎖して自宅で仕事をするようになってから衰えを自覚するようになってきた。体のあちこちに異変を感じるようになったし、実際この間、外科、眼科、耳鼻科などの診察を受けた。だが、検査の結果、眼科や耳鼻科の医師は「年齢相応で特に心配はいらない」ということだった。「最近は固有名詞がなかなか思い出せなくなった」と言ったら、「自分でそう自覚しているようなら大丈夫です」とのこと。本当に症状が悪い人は「自分は正常だと言い張り、家族が無理やり病院に連れてきます」というので笑ってしまった。それでも、認知症の診断は受けておこうと思う。

 だが、一番の「良薬」は取材その他で全国各地を動き回れることだ。いろいろな人と会って話を聞く。初めて聞く話がほとんどで知らなかったことばかりだが、それが過去に取材した内容と結びつくと、さらに新たな状況が見えてくる。するとますます興味が湧いてくる。その繰り返しで次から次と動き回ることになる。その結果、心身ともに若返ったような気持ちになってくるのだ。動き回れる喜びである。

2021年11月 1日

品位の有無

 「さま」から「さん」になった。小室圭さんと眞子さん夫妻のことである。この間、週刊誌やテレビのワイドショーは、この結婚の話題でいくら稼いだのか。

 そもそも2人が結婚したいというのだから結婚すれば良いのであって、第3者が賛成だ、反対だと言う筋合いはない。またマスコミ(ジャーナリズムではない)は、一時金を払うべきか、払うべきでないのか、あるいは貰うべきか辞退すべきか、といったことを取り上げていた。そして規定通りなら金額はいくらになるかなど、一時金云々にしても全くピント外れの議論だった。

 皇室経済法の第6条に、「…皇族であった者としての品位保持の資に充てるために………その身分を離れる際に一時金額により支出するものとする…」とある。話題の一つになった一時金の法的根拠だが、マスコミが取り上げるならこの点についてではないのか。

 法律の知識がないので素人なりの解釈になるが、品位を保つには金が要る、と書かれているのだ。これを逆読みすると、貧乏人は品位がない、と言っているに等しい。受け取るべきか辞退すべきかなどと騒ぐのではなく、法律にそのようなことが明記されていること自体に「いかがなものか」と問題提起するのがジャーナリズムというものだろう。

 おそらく結婚に反対している人たちの中の多くは、反対する心理の奥底に「貧富の差」すなわち「品位の有無」があるのではないかと思われる。

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