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2022年4月

2022年4月25日

花粉症か?

Photo_20220423081101 (まいまいず井戸=東京都羽村市 JR羽村駅近く)

 東京多摩地区は、4月はほとんど毎日のように曇天だったり、一時的に雨が降ったりした。日照時間が短く、まるで梅雨のようで気分的にも湿りがちになってしまう。朝の散歩も少なかった。

 さらに今年は、くしゃみや鼻水に悩まされた。「あなたの風邪は何処から‥‥」という風邪薬のコマーシャルがあったが、自分の場合には頻繁に鼻水が出るようになると風邪の前兆なので、早めに対処していた。だが、今年の鼻水は風邪の症状ではなく、明らかに花粉症である。過去にこんなことはなかったのに、突然、花粉症になったようだ。これまでは花粉症の人の苦労を知らなかったが、この歳になって花粉症になるとは思ってもいなかった。

 最近は家で仕事をすることが多くなったのでまだ多少は良いが、通勤時間帯に電車に乗っている時など、混雑している車内でくしゃみや鼻水が出たら大変だ。それでなくてもコロナで神経質になっているのに、みんなに迷惑をかけることなる。

 花粉症がいつぐらいまで続くのか知らないが、5月の下旬からは梅雨に入る。うっとうしい季節は早く過ぎて欲しい。

2022年4月18日

半世紀


Photo_20220415204101(中銀カプセルタワービル=東京都中央区銀座 港区側から撮影)

 4月12日から銀座8丁目の中銀カプセルタワービルの解体工事が始まった。同ビルは黒川紀章さんの設計で1972年の竣工なので、ちょうど半世紀が経ったことになる。約10平方メートルのカプセル状の部屋140個からなるメタボリズムの代表的な建物だ。

 カプセルタワービルと同じ銀座8丁目には、丹下健三さんが設計して1967年に竣工した静岡新聞・静岡放送東京支社ビルがある。やはりメタボリズムを象徴するようなデザインのビルでJR新橋駅に近い。20歳代半ばごろ新橋駅の近くで3年ほど働いていたので、山手線の車窓や新橋駅のホームから毎日、眺めていた。

 当時、これらの新しいビルを観ながら時代の変化を感じたものだった。同時に、将来はカプセルタワービルのような部屋を事務所にして、他人に使われず、他人を使うこともなく、1人で自由に仕事をしたいものだと思っていた。いま考えれば身の程知らずな夢を見ていたものだ。

 ニュースで中銀カプセルタワービルの解体を知り、あのころから半世紀が過ぎたのかと感慨深いものがある。それでも半世紀の半分にあたる25年間は、他人に使われず、他人を使うこともなく1人で仕事をしてきた。そのうちコロナで閉鎖するまでの18年間は、約5平方メートルの小さな事務所を構えていた。とてもカプセルタワービルの足元にも及ばないが、まぁ、これが自分の力の限界ということだろう。

 先週、たまたま銀座4丁目に行く機会があったので1つ手前の新橋駅で地下鉄を降り、中銀カプセルタワービルをスマフォで写真に撮った。半世紀前とは周辺の様相も一変。時代は絶えず変化するものだと改めて実感した。

2022年4月11日

いま世界で進行している事

Lazona-sakura-village (LAZONA SAKURA VILLAGE=神奈川県 JR川崎駅中央西口)

 ポーランドを訪れていた林外相とともに、ウクライナからの避難民20人が政府専用機で来日した。政府が避難民の受け入れに積極的な姿勢を打ち出しているので、今後、さらに増えるだろう。国際社会や国内向けのパフォーマンスに終わらないように、日本に来た避難民の人たちに対する支援体制を充実させなければいけない。

 また、今回は「避難民」としての受け入れというが、これを機に「難民」の人たちへの対応も再検討すべきだ。

 ポーランドはウクライナからの避難民をたくさん受け入れている。隣国ということもあるが、自国の歴史も深く関係しているのだろう。東欧の事情に詳しい人によると、ポーランドに限らず東欧における支配、被支配の歴史は複雑だ。ウクライナの人たちがロシア軍の砲撃を逃れるために地下室に避難しているが、地下室がたくさんあるということも複雑な歴史を物語っている。

 また、ヨーロッパの国々には複数の民族が混在して居住している地域などもあるので、これまでは仲良く共存してきた人々の感情も複雑で多様だろう。だが、専門的なことは分からなくても、ともかく目の前でいま起きている出来事に対して是か非かをハッキリさせる必要がある。

 ウクライナには行ったことがないが、むかしポーランドのワルシャワとその近郊を訪ねたことがある。テレビニュースで観るウクライナの農村部の畑や林の風景はワルシャワの郊外と似ていて、豊かな穀倉地帯を思わせる。それがロシア軍の侵略で甚大な被害を受けている。

 報道によると、ロシア軍が敗退した跡には、虐殺された一般市民の人たちの遺体が多数あった。一方、ポーランドには負の世界遺産になっているアウシュヴィッツ強制収容所がある。ロシア軍による虐殺の映像を観るとアウシュヴィッツなど第2次世界大戦の負の遺産を連想する。

 いま目の前で進行している事態は、遠いウクライナでの出来事とは思えない。北方領土や尖閣諸島は日本の現実的な問題である。核兵器の使用も危惧されているが、日本の原爆ドームは負の世界遺産だ。

2022年4月 4日

オリガルヒ

 Photo_20220330170401 (ここにも地道に咲いている=東京都府中市の街路の桜)

 ロシアのウクライナ侵略に関するニュースの中で、オリガルヒという言葉を耳にする。ロシアの新興財閥だ。

 1997年9月にサンクトペテルブルクとモスクワを訪ねた。ソ連邦が崩壊したのが1991年12月なので約5年半後である。ロシアに行った理由は、体制崩壊とその後の状況を物流の面から見たかったからだ。経済の停滞は政権交代につながる。さらに経済システムが機能マヒに陥ると国家体制の転換にまで至る。ソ連東欧の旧社会主義国家体制が崩壊したのは1990年前後だった。旧ソ連でいえば、当時、モスクワ近郊で列車が何日間も立ち往生して積んである物資が運べず、野菜などが腐ってしまう様子をテレビニュースで観た。そこで経済の行き詰まりと国家体制の崩壊を物流面からみたいと思ったのである。しかし、体制崩壊の直後では危険なので、少し落ち着く時期を待っていた。

 だが、ロシア社会はまだ混とんとしていた。たとえばトラック輸送でも、荷物を運ぶ地域によっては車が襲撃されて、積み荷を奪われてしまうほど危険だ。そこで、軍隊の給料だけでは食えなくなった兵士をアルバイトでガードマンとして雇い、武器を持って助手席に座らせて運ぶ、と言った話を訪問先の運送会社で聞いた。ついでながら、税金対策で企業(売上・利益)も個人(給与所得)も二重帳簿が「常識」だった。

 サンクトペテルブルクで写真を撮っていた時のことである。人通りの多い場所なのに肩から下げていたカメラを後ろから奪われそうになった。ストラップをつかんで強引に引っ張るのである。そこで「バカヤロー」と大きな声で叫んだら多くの人の視線が集まったので、相手は手をはなして何事もなかったかのように、すまし顔でゆっくり歩きながら人混みに紛れて去って行った。

 このように当時のロシアは物騒だった。節税のためフィンランドのヘルシンキに事務所をおいているというロシア人のAY氏は、「いままで国有だった土地や企業を、一部の人たちが力ずくで我が物にしようとしのぎを削り合っているのが現状。この分捕り合戦である程度の『所有』関係が形成されたら、それを既成事実として認めるような法体系をつくって『秩序』確立を図るだろう」と話していた。

 なるほど、その分捕り合戦に「勝利」し、その後さらに莫大な富を蓄積したのがオリガルヒだと四半世紀経って理解できた。

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