(ここにも地道に咲いている=東京都府中市の街路の桜)
ロシアのウクライナ侵略に関するニュースの中で、オリガルヒという言葉を耳にする。ロシアの新興財閥だ。
1997年9月にサンクトペテルブルクとモスクワを訪ねた。ソ連邦が崩壊したのが1991年12月なので約5年半後である。ロシアに行った理由は、体制崩壊とその後の状況を物流の面から見たかったからだ。経済の停滞は政権交代につながる。さらに経済システムが機能マヒに陥ると国家体制の転換にまで至る。ソ連東欧の旧社会主義国家体制が崩壊したのは1990年前後だった。旧ソ連でいえば、当時、モスクワ近郊で列車が何日間も立ち往生して積んである物資が運べず、野菜などが腐ってしまう様子をテレビニュースで観た。そこで経済の行き詰まりと国家体制の崩壊を物流面からみたいと思ったのである。しかし、体制崩壊の直後では危険なので、少し落ち着く時期を待っていた。
だが、ロシア社会はまだ混とんとしていた。たとえばトラック輸送でも、荷物を運ぶ地域によっては車が襲撃されて、積み荷を奪われてしまうほど危険だ。そこで、軍隊の給料だけでは食えなくなった兵士をアルバイトでガードマンとして雇い、武器を持って助手席に座らせて運ぶ、と言った話を訪問先の運送会社で聞いた。ついでながら、税金対策で企業(売上・利益)も個人(給与所得)も二重帳簿が「常識」だった。
サンクトペテルブルクで写真を撮っていた時のことである。人通りの多い場所なのに肩から下げていたカメラを後ろから奪われそうになった。ストラップをつかんで強引に引っ張るのである。そこで「バカヤロー」と大きな声で叫んだら多くの人の視線が集まったので、相手は手をはなして何事もなかったかのように、すまし顔でゆっくり歩きながら人混みに紛れて去って行った。
このように当時のロシアは物騒だった。節税のためフィンランドのヘルシンキに事務所をおいているというロシア人のAY氏は、「いままで国有だった土地や企業を、一部の人たちが力ずくで我が物にしようとしのぎを削り合っているのが現状。この分捕り合戦である程度の『所有』関係が形成されたら、それを既成事実として認めるような法体系をつくって『秩序』確立を図るだろう」と話していた。
なるほど、その分捕り合戦に「勝利」し、その後さらに莫大な富を蓄積したのがオリガルヒだと四半世紀経って理解できた。
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