« 2022年7月 | トップページ | 2022年9月 »

2022年8月

2022年8月29日

出るわ、出るわ

Photo_20220826101701 (海風が心地よい=神奈川県大磯町)

 旧統一教会と政治家の関係が連日、報道されている。一方、東京オリンピック・パラリンピックのスポンサーをめぐる汚職事件も発覚した。この2つは、根は同じだろうと思う。「パンドラの箱」が開いたと表現する人もいるが、これからさらに様々な問題が出てくるに違いない。今になって改めて感じるのは、安倍晋三元総理は「パンドラの箱」の蓋だったということだ。その蓋が無くなったのだから、これからは積年の問題が次々と明るみに出てきて、週刊誌やワイドショーは大忙しになってくる。

 旧統一教会と政治家の関係でいえば、「宗教と政治」ということではなく「反社会的勢力と政治家(屋)」というとらえ方の方が良い。反社勢力が宗教法人を隠れ蓑にし、そこに政治家が絡むという利権構造と考えるべきだろう。宗教法人の特権をフルに利用しながら反社的な行為をしていたのである。

 信者からの「献金」は現金だろう。さらに、献金された金は教団内で基本的に現金でやり取りされているものと思われる。教団に入る金も、教団からの支出も現金なら外部からは分からない。だが、内部ではどこ(誰)に、いつ、どのような名目で、いくら支出したかを記録しているはずだ。それが表ざたになったら大やけどをする政治家がいるのではないか。そこで「短気になってバラすようなことはしないで、お願いだから今後も『適切な関係』を続けてください」となる。逆に教団からすると、過去の支出の記録が人質としての効果を発揮するということだ。

 一方、予定より1年遅れで開催されたオリンピックをめぐっては、当時の丸山珠代五輪相の口から「ステークホルダーの存在がどうしてもある」という、正直? な発言があった(当コラム2021年7月5日『語るに落ちる』)。組織委員会の高橋治之元理事以外に、もっと大物のステークホルダーがいるだろう。これから、さらに新たな問題が表面化するのではないか。パンドラの箱の蓋が無くなったのだから。

2022年8月22日

最果ての岬と無人駅

Photo_20220815173901 (宗谷岬灯台=北海道稚内市)

 宗谷岬には間宮林蔵の銅像が建っている。岬の近くから樺太(サハリン)に出港したのを記念して建てられたものだ。間宮林蔵は茨城県の現在のつくばみらい市の生まれである。自分の故郷の近くだったので、小貝川の写真を撮りながら墓所である専称寺には何度も行った。同郷の偉人の銅像を最果ての岬で見るのは、何となく誇らしさを感じるものだ。

 最近は不採算なローカル線の存廃や、利用客の少ない駅の廃止などの議論が盛んにおこなわれている。JR北海道の宗谷線の最北の無人駅である「抜海」は、とりあえずは存続が決まったようだが、稚内市による維持費負担がなければ存続は難しい。7月下旬に南稚内駅の近くのホテルに泊まった。抜海駅は南稚内駅の隣の駅で、勇知駅との間にある無人駅だ。

 北海道の駅の廃止には不思議な縁がある。古い話だが1987年6月に夕張に取材に行った。その時に幌内線の幾春別という駅に偶然に立ち寄ったのだが、ロマンチックな駅名だなと思った。だが、その翌月に幌内線が廃線になってしまった。また、ちょうど10年前の2012年7月には千歳線の美々という無人駅に偶然に降りた。事故のためにダイヤが乱れ、苫小牧から千歳に向かって乗車していた列車が臨時停車したのである。おそらくアクシデントがなければ生涯、降りることのない無人駅だが「美々」という駅名に魅せられ、列車が動き出すまで駅周辺の写真を撮って時間を過ごした。

 当日は千歳駅の近くのホテルで講演の予定が入っていた。だが、美々は植苗と南千歳の間にある駅だ。南千歳の次が千歳なので、時間的にかなりの余裕があった。そこで自分の出番までには間に合うだろうと偶然の停車を楽しんだ。想定外も想定内としてしまえば、人生はそれなりになるものだ。だが、それから5年後の2017年には美々駅も人の乗降を止めて信号駅になってしまった。将来、抜海駅がどうなるのかは微妙だが、できれば存続して欲しい。

 そういえば今日は8月22日。早いもので8月も下旬になると、今年の夏ももう少しかという思いが湧いてくる。

2022年8月15日

北国の稲作

Photo_20220811154401 (民家のそばで草を食べる鹿たち=北海道稚内市 ノシャップ岬)

 約5年半ぶりに稚内に行った。前回は利尻島や礼文島にも渡ったが、今回はスケジュールの関係で両島にはいかなかった。礼文島に本社のある会社の取材だったが、稚内のフェリー乗り場の近くにある稚内営業所に社長が来てくれて取材できたのである。

 前回は帰った後に、利尻島では50年に1度という大雨になった。稚内市街地も観測史上最多の降水量ということで水があふれている映像をテレビニュースで観てびっくりした。今回も北海道は大雨や地震の被害が出ている。これ以上被害が大きくならないことを祈るばかりだ。

 5年半前と同じように、札幌から特急に乗って5時間10分の旅だったが(前回はもう少し時間がかかった)、列車の窓から風景を眺めるのが好きなので飽きない。時間はかかるが新幹線より在来特急の方が「旅」という感覚を味わえる。列車の窓から見ることができる範囲だが、旭川を越えて名寄のあたりまで稲作が行われている。こんな北国まで米が作れるのかと、品種改良などの努力には感服する。今では「ゆめぴりか」などブランド米になっている。

 やはり北海道の稲作は、本州などよりも耕作地がずっと広い。農産物の場合には天候などで収穫量が大きく左右されるので「生産性」という考え方が当てはまるのかどうか分からないが、狭い耕作地と比べれば、少なくとも作業効率はずっと良いはずだ。

 その点、テレビで見るウクライナの広大な耕作地は、穀倉地帯と呼ぶにふさわしい。まだまだ制約はあるが、それでも穀物の輸出が少しはできるようになったようである。ウクライナのためにも、世界のためにも、ロシアの侵略をストップしなければならない。

2022年8月 8日

「羽ばたけよ 空高く」

Ja (JAホール水海道=茨城県常総市)

 水海道市立向ヶ丘中学校(当時)の恩師、中山一郎先生が逝去された。享年89歳で今年12月には90歳になられるはずだった。本来は一昨年の12月に先生の米寿のお祝いを兼ねてクラス会を開く予定だった。だが、コロナで断念し、昨年も開催できずに今日まで来てしまった。

 我々のクラスは3組だったので、自分たち自身を「3組」と呼んでいた。3組は結束力があり、50歳代半ば以降はほとんど毎年のように12月の第1日曜日にクラス会を開いてきた。団塊の世代なので1クラスの人数が多く、3組は53人だった。そのうち若くして亡くなってしまったクラスメイトが12人もいる。だが、中学卒業後半世紀以上が経っても、クラス会には毎回20数名が出席していた。その理由は3つある。1つ目は、そもそもクラスの結束力が強かったこと。2つ目は先生という求心力があったこと。3つ目は卒業後も地元で生活してきた人たちが交代で幹事をつとめて段取りを取ってくれていたこと、である。そんなことで突然にもかかわらず8月4日の告別式には18名が参列した。

 自分はというと、勉強が嫌いだったので中学時代は授業以外はほとんど勉強しなかった。中学を卒業したら就職しようかとも考えていたほどだ。しかし、進路を決めかねずズルズルと3年生の冬休みまできた。そこで、3月に卒業して就職するとこれが最後の冬休みかと考えた。でも高校生になれば春休み、夏休み、冬休みがあと3回ずつあるという理由で、とりあえず高校入試を受けようと決めたのである。そんなわけで中学時代は全く勉強しなかった。

 卒業式の日である。卒業式が終わって、3組の教室に戻り、自分の席に座って前を見ると、正面の黒板に大きな文字で「羽ばたけよ空高く」と書いてあった。明らかに先生の字である。卒業式の会場に行く前には何も書いてなかったが、卒業式を終えて教室に戻ってきたら書いてあった。その間に、先生が書いておいてくれた僕らへの「送る言葉」だ。

 中学の3年間で一番強い印象として頭に残っているのは、この「羽ばたけよ空高く」という先生の言葉だ。その後も、この言葉が時どき頭をよぎった。その度に、いま自分は空高く羽ばたいているだろうか、と考えた。先生からの「贈る言葉」が、中学3年間における最大の勉強だったと思っている。

 自分は、まだ、もう少し飛べそうだ。先生のご冥福をお祈りしつつ、自由気ままに飛びまわることにしよう。

2022年8月 1日

コロナ感染第7波

Photo_20220730075201 (豊平館=札幌市 中島公園)

 コロナの第7波で1日の感染者数が20万人を超える日が続いている。人口20万人といえば地方では大きな都市である。その地方の大都市の人口を超える人数が1日で感染していると考えれば、いかに大変な状況かが分かるだろう。ここまで感染者が増えてくると、いつ、だれが感染してもおかしくない。

 昔からの知り合いの経営者が2年ほど前に亡くなっていた。基礎疾患がある人だったが、コロナに感染すると短期間で亡くなったという。だが、それを聞いたのは約1年前だった。1年間も知らずにいた不義理をわびたが、家族と親族、それに会社の社員以外は、外部に知らせなかったのだという。また、やはり知り合いの経営者が電話で、娘夫婦と子供(孫)2人の一家全員が感染したと言っていた。あるいは、社内で感染者が交代で何人も出ているので仕事にも支障が出て、対応が大変だと話していた経営者もいる。

 そのような状況にあっても、仕事で外に出ないわけにはいかない。今年度に入ってからは、ここ2年間より出張が増えてきたが、感染予防には充分気をつけるようにしている。それでも絶対ということはないので神経を使う。だがその一方では、無意識のうちに気のゆるみがあることも否定できない。

 少しでも早い終息を願うばかりだ。

« 2022年7月 | トップページ | 2022年9月 »