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2022年9月

2022年9月26日

古墳群

Photo_20220923073701 仁徳天皇陵古墳=大阪府堺市

 17日(土)から19日(月)の連休中に台風14号が日本列島を縦断した。さらに1週間後の23日(金)から25日(日)の連休にも台風15号が来襲して被害をもたらした。これも地球温暖化が影響しているのだろう。

 20日と21日は関西に出張する予定だったので新幹線が運休にならないかと、台風14号の進路が心配だった。幸い20日は自分が利用する各交通機関は朝からほぼ平常運転だったので予定の時間に目的地に着くことができた。その後のスケジュールも帰りの新幹線に乗るまでは順調だった。

 20日はセミナーの会場になっていた道頓堀のホテルに泊まり、21日は堺市に行ったので朝少し早く出て百舌鳥駅で降り、仁徳天皇陵古墳にいった。百舌鳥古墳群ビジターセンターでレンタサイクルを借り、仁徳天皇陵古墳の外周を一回りした。中はさっぱり見えないが、それにしても広大だ。

 堺市には何度か行っているが古墳は初めてである。仁徳天皇陵古墳からは大仙公園を歩いて横断し、履中天皇陵古墳にも行った。この近くにはいたすけ古墳、御廟山古墳、ニサンザイ古墳、反正天皇陵古墳がある。さらに、規模は小さくなるが永山古墳、丸保山古墳、グワショウ坊古墳、孫太夫古墳、竜佐山古墳、その他にも多数の古墳が近くに集中して存在する。今度は遊びで時間をかけて古墳周りをしてみたい。

 だが、取材を終えて新大阪駅からの帰りは新幹線が遅れて大変だった。当初は新大阪駅の発車が何時になるか分からないとのことだったので、予約していた新幹線では東京に着くのが深夜になってしまうかも知れない。そこで自由席なら構わないので、順番からすると一番先に新大阪を発車するはずの新幹線の自由席に座って2時間以上も待っていた。運行が再開されるとやはりその列車が最初に新大阪駅を発車し、東京駅には2時間以上の遅れで着いた。すると特急券に赤い文字で「遅払証」とプリントされて自動改札機から戻ってきた。特急料金が払い戻されるらしい。だが当日は早く帰ろうと手続きはしなかった。

 翌日も外出したので、そのついでにJR駅のみどりの窓口に持って行った。ところが、予約していた新幹線は2時間以内の遅延だったらしい。チケットにはその列車番号が印刷されている。新大阪駅を一番早く発車した列車の自由席に乗っていたので遅れが2時間を超えていた。だが、徐々に遅れを回復し、予約していた列車は東京駅への遅着が2時間を切っていたらしい。そのため払い戻しの対象にはならないとのこと。まぁ、今回はいろいろあった出張だった。

2022年9月19日

カメラ代替

Photo_20220913164201 (富岡八幡宮=東京都江東区)

 一眼レフカメラを代替えすることになってしまった。これまではニコンD3を使っていたのだが、最近はあまり使用しなかったのでメンテナンスをしてもらおうとニコン イメージング ジャパン プロサービス センターに連絡したら、D3のサービスはもう終了したとのこと。そこで代替えすることにした。

 ニコン一眼レフの現在のフラッグシップ機はD6なので、D3は3代も前のカメラになる。D3が発売されたのは2007年で、購入したのは翌2008年だった。14年も使っていたのだから仕方がない。だがD6は高価なので、今回はD850に代替えすることにした。最近はミラーレスも使うようになり、以前より一眼レフを使う機会が減ったからでもある。ここ2、3年はA4の冊子で見開きで使う写真をミラーレスで撮ることもある。

 このように昨今はミラーレスを使う機会が増えてきた。また、鞄にはコンパトデジカメをいつも入れている。Webマガジンに出稿する原稿に添える写真は全部コンパクトデジカメで撮ったものを使っている。また、当コラムも今年から写真を挿入するようにしたが、当コラムに掲載している写真は全部スマフォで撮ったものだ。取材などで訪ねた先々で、その近くに少し寄り道して当コラム用に撮っている。基本的には1カ月以内ぐらいにスマフォで撮った写真を採用し、ずっと以前に撮った写真を掲載した場合は撮影年を入れるようにしている。

 そんなことで最近は一眼レフを使う機会が減ったのだが、一眼レフで撮った方が良い仕事も少しあるので代替えすることにした。それにしても予想外の出費だった。少しでも早く元を取らなければならない。

2022年9月12日

久しぶりの運転

Photo_20220910083601 (日比谷公園=東京都千代田区)

 数か月ぶりに車で取材に行った。慣れない運転なので体力的に疲れる。さらに高速道路に乗るまでの一般道が混んでいて精神的にも疲れた。毎日、こんなに渋滞する道路を運転して働いていたら大変だろうと思う。まぁ、プロのドライライバーにとっては、それが日常の仕事だと言ってしまえばそれまでだが。逆に、電車での移動は疲れるということになるかも知れない。

 厚生労働省の労働政策審議会・トラック作業部会は、改善基準告示の見直し案を部会として承認した。それによると2024年4月からは、1日の拘束時間が原則12時間以下、最長で15時間まで延長可能(ただし制約条件あり)。また、1日の休息時間(勤務間インターバル)は、9時間以上を義務として、11時間以上にするように努める、となっている。

 長時間労働と低収入がトラックドライバー不足の一番の原因とされる。その2つの要因のうちの労働時間の改善に向けた努力が必要であり、それが改善基準告示だ。同時に賃金のアップも必須である。ほとんどのトラック運送事業者は、歩合制の部分が多い賃金体系になっている。すると労働時間短縮はドライバーの収入減になってしまう、という問題がある。

 つまり、時給に換算すると安い賃金を長時間労働で補っているのが多くのトラックドライバーの収入構造だ。それでも全産業並みには及ばない。このような実態を改善するには、原資の確保に努めることが必要条件になる。

 それにしても久しぶりに車を運転して実感したのは、ガソリン価格が高いことだった。

2022年9月 5日

ペレストロイカ

Photo_20220901155901 (成子天神社=東京都新宿区)

 ゴルバチョフ元ソ連大統領が亡くなった。ソ連の最後の大統領である。テレビや新聞の報道によると、ロシア国内では評価が大きく分かれているようだ。「偉大なソ連」を崩壊させたという否定的な意見と、人々を自由な社会に開放したという肯定的な評価である。

 ゴルバチョフ氏がソ連共産党の書記長でソ連大統領だった当時、「ペレストロイカ(再構築、改革)」や「グラスノスチ(情報公開)」などの言葉を新鮮に感じたことを思い出す。実際に第二次世界大戦後から続いた東西冷戦構造の終結に向けた動きは、大きな時代の変化を予感させたものだ。1989年にはベルリンの壁が取り除かれ、1991年にはソ連が崩壊した。その他、1990年前後は東欧など旧社会主義体制に政治変革が起こり、世界の動きがダイナミックだった。

 東西冷戦構造の終結は、それまで軍事技術だったインターネットやデジタル通信(携帯電話)などの、民間への技術開放を促した。そのため1990年代には世界中でインターネット通信が普及し、短期間に誰もが携帯電話を持つようになった。そのような意味でも、1990年前後は世界の大きな転換点だった。現在は日常生活に不可欠なスマフォやE Mailなども「ペレストロイカ」のおかげといえる。

 そして冷戦構造の終結は経済のグローバル化ももたらした。世界の経済構造が変わったことを実感したのは2008年のリーマンショックだった。もし東西冷戦構造の時代だったら、リーマン・ブラザーズの経営破綻は西側諸国の経済には大きなダメージを与えただろうが、東側はさほどではなかったはずだ。しかし、経済がグローバル化し東西だけではなく南北も含めた東西南北(全世界)に大きな影響を及ぼした。

 グローバル化によって平和や安全といった面でも、全地球的なスケールになってきている。世界の構造的転換点だった1990年前後から約30年が過ぎ、現在は第三次世界大戦の前夜とも思わせるような状況になりつつある。もし世界的な規模での戦争になったら、人類の滅亡といった危機にも至ってしまう。

 歴史は繰り返すのか。それとも歴史から学んでより良い社会の実現を目指すのか。今、世界は大きな分岐点にいる。

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