今日はメーデー
なんじゃもんじゃの木(白い花)と深大寺本堂=東京都調布市
このコラムは毎週月曜日に更新しているが、たまたま今回は月曜日が5月1日のメーデー(労働者の祭典)になった。半世紀も前になるが、若いころはメーデーの集会に何度か参加した。メーデーに行かなくなって久しいが、昨今は、当時の社会的な高揚感は感じられない。連合主催の今年のメーデー中央大会が29日に東京の代々木公園で開かれ、岸田総理大臣も出席した。だがマスコミのニュースの扱いは小さい。半世紀前とは隔世の感がある。
30年ほど前から主要国では新自由主義が席巻し世の中が大きく変わった。とくに日本では、この10年ぐらいで貧富の差が著しく拡大したのに、労働組合の組織率は下がる一方だ。そもそも「労働者」といっても今では非正規雇用労働者が4割近くを占める。半世紀ぐらい前の1970年代前半ごろは、非正規雇用労働者という表現は一般的ではなかったが、それに該当するのはパートとアルバイトだった。
前者は、家事や子育てをしている既婚の女性がフルタイムではなく都合の良い時間だけ働く。また、社会保険料を差し引かれない範囲の収入で家計の足しにしたいという人が多かった。少なくとも当時は、夫1人の収入で妻と2人ぐらいの子供が基本的には生活できたのである。一方、アルバイトはほとんどが学生だった。中にはアルバイトをかけ持ちして学費から生活費までを賄って大学に通った学生もいたが、多くはアルバイトで小遣いを稼ぐというのが一般的だった。
最近、斎藤幸平著「ゼロからの『資本論』」(NHK出版)と、白井聡著「マルクス 生を飲み込む資本主義」(講談社現代新書)を続けて読んだ。斎藤氏の「人新世の『資本論』」(集英社新書)も2年ぐらい前に読んだが、同氏の著書は2冊とも売れているようだ。「資本論」関係の本が売れるのは、おそらく社会や生活に不安を感じる人が増えているからだろうと思う。閉塞感が強まると資本主義経済の本質を分析した「資本論」は輝きを増す。
だが、「資本論」というタイトルだけで毛嫌いする人がたくさんいることも事実だ。これほど世界中の多くの人から嫌悪されている本も稀だろう。一方、「資本論」ほど各時代に応じて再評価される本も少ない。同著が書かれた19世紀なかばごろにはヨーロッパを「妖怪」が徘徊していて支配層に警戒されたようだ。それに対して現在の日本では依然として「妖怪の孫」(古賀茂明著『分断と凋落の日本』発行・日刊現代、発売・講談社)が、非正規雇用労働者をはじめ庶民を苦しめている。そんな中で迎えた今日のメーデーだ。
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