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2024年1月

2024年1月29日

選択肢なしの閉塞感

Photo_20240123094301 JRで日本一標高が高い小海線野辺山駅=長野県南佐久郡

 自民党の派閥パーティ券売上金のキックバックや中抜き、「秘書の単純ミス」による政治資金収支報告書への不記載などが問われている。それにしても不思議なのは岸田文雄総理が真っ先に岸田派の解散を表明したことだ。たしか岸田総理・総裁は岸田派を脱会して現在は無派閥のはずだったが‥‥。マスコミも岸田総理の岸田派解散は報じるが、総理が岸田派から脱会していることの矛盾を指摘する報道はなされていない。派閥からの偽装脱退だということが暗黙の了解だったのか。

 いくつかの報道機関の調査をみても、内閣支持率や自民党支持率は下がっている。だが、これも不思議なのだが、自民党にとって代われるような野党が存在しない。与党の不祥事が大きな問題になれば、普通なら野党第一党への期待が高まるものだ。しかし、どの野党の支持率も低迷したままである。

 そのような中で日本共産党の党大会が開かれ、田村智子氏が同党初の女性委員長になった。女性党首への注目もあって、おそらく最初のころの選挙では議席を増やすかも知れない。だが、長続きはしないだろう。なぜなら発想や体質が変わらないからだ。テレビや新聞などの報道によれば、大会で党首公選制導入を訴えた竹松伸幸氏の除名処分に異を唱えた発言者に対して、「発言者の姿勢に根本的な問題がある」と田村氏が一蹴したという。驚いたので田村氏の略歴などをみたら、大学卒業後に一般社会人の経験がない。共産党無謬論が通用する環境でずっと生きてきたエリートだ。そのため人それぞれに様々な考え方や意見があることが分からないのではと思わざるを得ない。

 自分(たち)と異なる意見の人と議論をし、説得、納得させるという経験がないのだろう。だから異論は排除し、一方的にレッテルを貼るという行動にでる。そのような発想と行動の党首では、一般国民の支持を得るのは難しい。

 異論は排除してレッテル貼りをする。あれ!? それでは、「桜を見る会」の問題で追及された側の人と同じではないか。自民党と一番の対極にある政党がこれでは、中間の諸政党は推して知るべし。連合の芳野友子会長の「ご尽力」もあって、これでは我われには選挙での選択肢がないわけだ。

2024年1月22日

ロジスティクス

Photo_20240115160601 武田信玄公像=山梨県甲府市 JR甲府駅前

 能登半島地震は半島という地理的条件に加え、隆起による海岸線の地形変化などから、被害状況の正確な把握に時間がかかっている。救助、救援活動も難航しているようだ。

 13年前の東日本大震災の時もそうだったが、このような大災害などの非常時に必要なのがロジスティクスである。だが、阪神・淡路大震災や東日本大震災、熊本地震などを経験しても、日本政府にはいまだにロジスティクスの概念も体制もない。

 一定の規模以上の災害時には、国のロジスティクス本部の下に、関係する都道府県や市町村の行政機関の災害対策部署、ならびに消防や警察、自衛隊(救助部隊)、通信会社、医療関係機関、陸海空の旅客輸送と貨物輸送の業界団体(ならびに大手企業)、さらにはボランティアなども組み入れて、情報集約と指揮系統を一元化して対応できるような法律が必要だろう。

 まずは現場の状況把握(情報収集)、それに基づく救助、救援体制の構築、必要物資の輸送など、指揮系統を一元化して総合的に速やかに対応できる実働体制である。

 そのようなロジスティクスの体制が無いと、バラバラなその場その場の対応になってしまう。助かる命も助からなくなったり、復旧、復興もそれだけ遅れる。大災害時のロジスティクスのための関係法令の制定・整備をすることが急務だ。

2024年1月15日

静止摩擦

Photo_20240109100501 谷保天満宮=東京都国立市

 今年は新年早々、能登半島地震や羽田空港での航空機事故など不幸が続いた。被災者の皆さんを思うと気の重い毎日である。そのためではないのだが、年初から仕事に打ち込めない。なかなか「やる気モード」に切り替わらないのだ。

 昨年暮れは30日、31日と休み、正月も1日から3日まで休んだ。4日が仕事始めのはずだったが、4日も5日も気分がのらず、一応は仕事に取り組んだのだが集中できずほどほどになってしまった。6日は土曜日だし7日の日曜日と、次の8日は成人の日で、世の中の多くの人は3連休かと思うとやる気が出ない。さらに、9日になってもなかなか仕事のエンジンがかからない。1月はいくつもの仕事がかなり集中しているので気持が焦ってくる。

 それにしても今年の最初の仕事は、4日午前中に「週刊プレイボーイ」の記者からのリモート取材だった。その後も、「週刊SPA!」の記者からの取材を受け、さらにYahoo!ニュースの編集部記事の監修の仕事だ。いずれも「2024年問題」がテーマなので、「物流」を広く一般の人たちに発信するために可能な限り協力したいと思っている。だが、肝心なのは自分は取材をする側だということで、そのアポイントがなかなか取れず、もう1月も半ばになってしまう。

 とにかく第1歩を走り出してしまえば、その日によって気分の波動はあるものの何とかなる。だが、初動がなかなか難しい。そういえば、ずっとむかしに静止摩擦や動摩擦などといった難しい話を聞いたっけ。半世紀も経って、やっと実感として静止摩擦係数と動摩擦係数の違いが分かったような気がする。

2024年1月 8日

地震・航空機事故・火災

Photo_20240101205501 希望の光が射すように=札幌市豊平区 さっぽろ羊ヶ丘展望台(撮影は2023年12月)

 能登半島で大きな地震が発生した。しかも1月1日である。この10数年間は年末年始に孫たちと泊りがけでどこかに出かけていたのだが、今年は久しぶりにどこにも出かけないで年を越して新年を迎えた。テレビで正月番組を観ていたら地震発生のニュースに切り替わったので驚いた。すると翌日の2日には羽田空港で航空機の大事故である。さらに3日には北九州市の飲食店街で大きな火災が起きた。このように新年から大惨事が続いてしまった。

 地震では輪島市や珠洲市の被害が大きい。珠洲や輪島は能登半島の先端の方だし、その他の被害が大きかった地域も半島である。そのため道路の被害状況からすると、陸上からのトラックによる救援物資輸送は難しいだろう。鉄道も現在は穴水駅までしかない。昔は穴水から輪島まで七尾線が続いていたが今はなく、また、穴水から蛸島まであった能登線も廃線になっている。しかも線路が被害を受けて、とくに羽咋駅~和倉温泉駅は復旧にかなりの期間を要するようだ。そのような中で緊急を要するものはヘリコプターなど空から、大量の物資は海上輸送が必要だろう。いずれにしても速やかな対応が必要だ。

 輪島に行ったのは2015年秋なので、もう8年以上も前になる。レンタサイクルで周った鴨ケ浦は今回の津波でどのようになってしまったか。また、輪島塗のはしを買った店も火災に遭っていないか心配だ。輪島塗の店では、たまたま客が自分1人だけだったので、店主と立ち話をした。すると、店内の輪島塗の商品棚の前で写真を撮りましょうといって、ホテルに帰ってみるとスマフォに写真を送ってくれていた。被災を免れていれば不幸中の幸いなのだが‥‥。

 その時に送信してもらった写真のデータは手元にある。だが、まさかこんな大惨事の時に、輪島塗の商品の前で笑顔で写っている写真を掲載するわけにはいかない。鴨ケ浦などで自分が撮った写真もそうである。そんなことで、せめて希望の光が射してくるようにと、白樺の木々の間から射しこんでくる冬の光の写真を掲載した。被災された皆様にはお見舞い申し上げます。

2024年1月 1日

劣等生よ、大志を抱け!

Photo_20231225125401 大志を抱け=札幌市豊平区 さっぽろ羊ヶ丘展望台(撮影は2023年12月)

 昨年最初の1月2日づけ当コラムでは、1年間良い時を刻むようにとの思いを込めて、札幌時計台の写真を掲載した。一昨年12月に仕事で札幌時計台の近く行った時に撮影したものだ。ところが昨年12月にも札幌に行く仕事があったので、さっぽろ羊ヶ丘展望台を駆け足で訪ね、今年最初(1月1日)のコラムの写真はクラーク博士像にした。

 むかし高校を卒業する時に何かに寄せ書きをした。半世紀以上も前なので何に書いたのかは忘れてしまったが、その時に書いた言葉は覚えている。「劣等生よ、大志を抱け!」である。自他ともに認める「落ちこぼれ組」だったが、大志だけはもって生きていこうと思っていたのだ。

 だが、今になって思い返すと、実際には抱くべき大志は何かが分かっていなかった。いまだに自分の大志は分からない。結局、その後の半世紀以上の時間は、抱くべき志は何かを探し求めながら生きてきたように思える。

 昨年最後の12月25日づけの当コラムに書いたように、昨年1年間はこれまでにないほど忙しかった。肉体的にはきつかったが、それでも精神的には余裕があった。もっと仕事のオファーが入ってきても大丈夫だと思ったものである。この歳になっても「まだまだ伸びしろがありそうだな」と我ながら自賛していた。

 そんなことで、今年も大志を抱いて、いや、正確には抱くべき大志を探す旅を続けよう。劣等生よ、大志を抱け! である。

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