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2024年8月

2024年8月26日

三世代共生

Photo_20240819090801 近所の公園の夏祭り=茨城県守谷市

 守谷市に引っ越して約1カ月と3週間が経つ。雨が降ったり早く家を出ないと約束の時間に間に合わない日を除くと、ランニングしたりウォーキングしたりムリのないようにその日のスケジュールに応じて1時間~2時間ほど毎朝出歩く。

 その日の予定と気分次第でコースをいろいろ変えて目新しさも楽しんでいる。近所には公園がたくさんあるし、住宅街にも街路樹が植えられていて歩いたり走ったりするのも気分が良い。また、鬼怒川の土手を歩いたり、小貝川の土手を歩くこともでき、自然に恵まれている。

 そのような中で最近気づいたのは、自分が引っ越してきた地域は三世代が共生しているエリアだということだ。守谷市(昔は町だったが)で住宅が開発され始めたのは自分の記憶では約半世紀前だった。その当時は日本の高度経済成長期で、都内に通勤する人たちが転入してきた。その人たちを転入の第一世代とすると、すでに子どもたちは独立して家を離れ、現在は高齢者夫婦や高齢者の単身世帯になっている。

 具体的な資料の裏付けはないが、その後、転入が再び活発化したのは東京の秋葉原とつくば市を結ぶつくばエクスプレス(正式名称は常磐新線、愛称はTX)が開通した2005年(8月24日)前後からだろう。その人たちが転入の第二世代といえる。その後も転入が続き、子供たちは高校生や小中学生、あるいは就学前の児童などである。

 転入第二世代は転入第一世代の子供に相当するような年齢で、さらにその子供たちは転入第一世代からすると孫のような年だ。つまり直接的な関係はないのだが、地域全体でみると三世代がバランス良く共生しているエリアのように感じる。

 転入第一世代と同じ年齢層の人たちは、東京23区内や郊外にたくさんいて約半世紀前に建売住宅や団地などに入居した。その人たちの子供は成人して家を離れ高齢者だけの世帯が増えてきた。しかし、守谷市のようにその人たちの子供の年齢に相当するような人たちが、その地域に転入してこない。当然、孫のような世代も少ない。このようにして東京23区内の一部や郊外の団地の多い地域では高齢化が進んでいる。

 また、住民の高齢化と同時進行で地元の個人経営の商店の人たちも高齢化。顧客の高齢化とともに売り上げも減り、後継者がいないので閉店していく。量販店の店舗も売り上げが減少すれば撤退する。さらに定年退職者が増えれば通勤用の路線バスの乗客も減るので便数を減らしたり、路線が廃止される。こうして都区内でも「買い物難民」ができてくる。

 これからは、血縁関係はなくても三世代が共生するような地域政策が重要になってくるだろう。もっとも、そんな聡明な政治家などいないので守谷市は偶然の結果に過ぎない。ところで、都心のタワーマンションは半世紀後にはどのようになっているだろうか? 50年後の当コラムのテーマができたぞ!

2024年8月19日

目の前を時が過ぎていく

Photo_20240814143201 浅草寺=東京都台東区

 16日から17日にかけて台風7号が関東地方や東北地方の太平洋側に接近した。新幹線や在来線、航空機やフェリーの運休や減便など公共交通機関にも影響が出た。お盆の帰省や夏休みの旅行などの時期だったので、予定の変更を余儀なくされた人たちも多かった。

 観光地やテーマパーク、お土産屋、ホテルや旅館などは「稼ぎ時」だったので、売上減少などのダメージは大きかっただろうと思う。自然には勝てないのであきらめざるを得ない。

 世の中は夏休みやお盆休みなので、この時期は取材のアポイントも難しい。では家で原稿を書くかといっても、集中できないので仕事にならない。毎年のことだが、休むでもなく、仕事をするでもなく、ついダラダラと過ごしてしまう。とくに16日は台風が徐々に接近してくるというので、1日中ソファーに座ったり寝ころんだりしながら過ごした。ボーッとガラス戸越しに外を眺めていて、ふっと四半世紀以上前のことを思い出した。

 あれは1997年6月だから、もう27年も前になるのか。アメリカの3PL企業の視察を企画し、参加者を募ってサンフランシスコ、ロスアンゼルス、サンディエゴなど西海岸の企業を回った。ロスアンゼルスで半日の自由時間があり、参加者はそれぞれ好きなところに観光に出かけた。だが自分1人だけはホテルでじっとして過ごしたことがある。

 出発前から少し風邪気味だったのだが、ますますひどくなってきた。しかし、自分は企画者であり帰国してから視察報告書をまとめなければならないので、訪問先には行かなければならない。そこで半日の自由時間は何もしないでホテルでのんびり休むことにしたのである。だが、自分の部屋の窓から見えるのは空や高層ビルばかり。ホテルのロビーに移動して、そなえつけのソファーに座って街路を行き来する人たちを見つめていた。

 その時、アメリカにまで来て何もしないでじっとホテルの窓から外を眺めているなんて、なんてムダな時間を過ごしているのだろうと最初は思っていた。だが、フッとひらめいたのである。いやそうじゃない。外国で何もしないで窓の外を見つめながら、ただ時が流れていくのに身を任せているなんて最高の贅沢な時間ではないか。この素晴らしい時間をより有意義にするため、雑念を払って頭の中を空白にしようと努めた。

 台風7号の接近で、雲の切れ目から日が射したと思ったら、時おり強い雨や強風が繰り返すのを見ながら、四半世紀以上も前のことを思い出した。すると、仕事のことなど考えずに時が過ぎるのを楽しもうという気になってきたのである。

2024年8月12日

猛暑の中の取材

Photo_20240806152701 雷門=東京都台東区

 8月の上旬から中旬は飛行機や新幹線を使った出張はできるだけ避けている。旅行者や帰省客で混雑するからだ。それでなくてもインバウンドが増加しているのに、夏休みで出かける人たちが増える時期の長距離出張は疲れる。

 だが、どうしても新幹線で出張しなければならない仕事が入ってきた。3日後に滋賀県まで行ってほしいという急な話である。その日は16時から新宿区内で予定が入っていた。15時30分ぐらいには新宿駅まで戻らなければならない。そこで早朝の新幹線で京都まで行き、湖西線で守山市まで行った。用件を済ませるとすぐに駅に戻り、京都からは品川まで新幹線で新宿区内の予定先には15時50分に入れた。

 新幹線も通常よりは混んでいたが、しかし、予想していたほどの混雑ではなかった。もう1日か2日遅かったらチケットを取るのも大変だったかもしれない。

 その翌日は埼玉県内の企業に取材に行ったが偶然には驚いた。取材で訪ねた日が同社の51回目の設立記念日だったのである。双方の都合でアポイントを取ったのだが、その後、ホームページを見て設立記念日なのを知った。まったくの偶然である。

 そんなこんなで猛暑の中でも走り回っている。若い頃の取材では真夏でもスーツにネクタイだった。山手線は冷房が入っていたが、それより少し前は電車の一番前と一番後ろの車両しか冷房が入っていない時期があった。漫才で「運転手さんと車両さんだけ良い思いをしている」といった定番のセリフがあって笑ったものだ。地下鉄の車両に冷房が入ったのは地上を走る電車より遅かった。地下なので高温と湿度には辟易したものだ。

 しかし現在は、ノーネクタイで上着なしが普通になった。また猛暑でも電車などの乗り物で移動している間は、一息つけるのでありがたい。

2024年8月 5日

心技体

Photo_20240731152001 狭山湖=東京都東大和市

 パリ・オリンピック・パラリンピックが開催されている。テレビでは多くのチャンネルでオリンピックを放送しているので、つい観てしまう。正直にいえば観ざるを得ないような状態だ。前回の東京大会もそうだったが、あまり熱心に観ようという気にはならない。だが、オリンピックの期間中はテレビでオリンピック以外の番組の選択肢が少ないので、なんとなく観ているような状態だ。

 今回のオリンピックでは「心技体」ということを改めて考えさせられるシーンもあった。

 「われ未だ木鶏たりえず」‥‥第35代横綱の双葉山は70連勝のかかった大一番で安芸ノ海に敗れ、連勝が69で止まった。館内にはたくさんの座布団が舞ったというが、双葉山は敗れた後はいつものように土俵に一礼をして花道を下がったという。そしてその夜、知人に当てて打った電報が先の文言だったといわれている。今風にいえば、連勝が途切れた夜に親しい人に送ったメールというところか。

 相撲では「心技体」といわれる。「技」と「体」だけではなく、「心」が伴っているかどうか。この3つが揃ってこそ大横綱と評される。「技」と「体」を鍛錬する過程で「心」も成長してくるのが理想だ。これは多のスポーツに当てはまるだろう。オリンピックに出場するような選手は、その競技においては世界のトップレベルの「技」と「体」に達している。だが「心」が伴っていなくても、「技」と「体」だけ優れていれば試合に勝つことはできるだろう。「心」は日ごろの練習だけではなく、負けることの悔しさや悲しみなどを知り、それを越える過程で成長するのかも知れない。テレビでオリンピックを観ながら「心技体」といった言葉を思い出した。

 まだオリンピックは終わっていないが、これまでの競技では日本の選手に不利な判定が出されるような場面がいくつかあった。身びいきかも知れないが、そんな場面をいくつか目にした。また、いろいろな競技で日本以外の国の選手に対しても不可解な判定があった。

 審判員にも、判定が適切だったかどうかを評価する制度を採り入れるべきだ。オリンピックで審判を務めるような審判員は審判の「技」と「体」は優れているだろう。だが、微妙な判定を瞬時に判断するには「心」も大きな要素を占めてくる。個人の感情は抜きに第三者に徹して公平、中立であるかどうか。審判員の技量も客観的に評価する制度を採り入れることで判定のレベル向上を図る。選手たちの世界最高のパフォーマンスは、最高レベルの判定があって輝くし、たくさんの人に感動を与える。

 それにしても観ていて可哀そうになったのは、セーヌ川で泳がされたトライアスロンの選手たちだ。選手自身も複雑な気持ちだったのではないだろうか。セーヌ川をきれいにするだけではなく、開催者自身の「心」の浄化が必要だ。

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