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2024年11月

2024年11月25日

偶然の100周年

Photo_20241118161201 塩狩峠=北海道和寒町 塩狩峠駅付近

 今回の写真は、今月中旬に名寄市に行った帰りにJR北海道宗谷本線塩狩駅に列車が停車中に撮った「塩狩峠記念館 三浦綾子旧宅」の看板である。車内から窓越しにスマホで撮ったので鮮明ではない。

 偶然だが、塩狩峠駅の開駅は1924年11月25日なので100周年だという。しかも当コラムは毎週月曜日にUPしているが、今日が11月25日というのも何かの縁を感じる。同駅では10月6日に記念セレモニーがあったようだ。

 偶然といえば、10月21日付(「拙稿も数書きゃ『読まれる』」)で掲載した熊本市電の熊本駅前電停の写真も、8月1日で開業100周年だった。北海道と九州なので距離的に離れているが、当時は日本の近代化が進められていた活気ある時代だったのだろうと想像する。朝日が昇るような勢いがあったのではないだろうか。しかし、和寒町によれば塩狩駅は冬季の除雪費用など年間500万円の維持管理費がかかる。そのようなこともあって閉駅も検討されているという。そこで和寒町では塩狩駅存続のための協力を呼び掛けている。これは現在の日本社会の構造的変化を象徴しているともいえる。

 実は名寄市に行ったのも、衰退する地方を再興するための核として、物流拠点化が構想されているのを取材するためだ。人口減少を食い止めて若い人たちの雇用の場をつくる。そのためには地場産業(主に一次産業)を支えて、さらに地域経済(二次・三次産業)と住民生活を活性化するという視点から物流の「2024年問題」を位置付ける試みである。

 塩狩峠駅の存続と再興も、和寒町の活性化とともに実現できることを願いたい。

2024年11月18日

日比谷公園内の石貨

Photo_20241111075701 ヤップ島で使われていた石貨=東京都千代田区 日比谷公園内

 日比谷公園の近くで用があったので、久しぶりに公園内にある石貨の所に行った。説明書によると、これは南太平洋ヤップ島(現在のミクロネシア連邦)でお金として使われていたもので「石貨」と呼ばれている。石貨は6cmぐらいの小さなものから、直径3mといった大きなものまであり、一般には大きさ、表面の滑らかさ、形のよしあし、運搬の難易度などによって価値か決められていたという。日比谷公園にあるこの石貨は長径1.35m、短径1.00mで、1924年(大正13年)ごろ1000円ぐらいで通用していたようだと書かれている。

 なぜ石貨をみに行ったのか。それは、半世紀も前になるが懐かしい思い出があるからだ。日比谷公園の石貨をみると故平井規之先生を思い出す。貨幣論の中で、先生が余談で日比谷公園にある石貨を話題にした。こんな大きな貨幣では持ち運びができない。そこで今から考えると当時は後れていたと思う人がいるかも知れないが、その人の方が後れている、という話だった。

 なぜかというと、集落の真ん中にこの石貨を置いておく。そして動かさずに所有権だけを替えれば良い。つまり取引しても現金を動かさずに代金決済をする。ごく最近でいえばキャッシュレス決済のようなものだ。つまり遅れているどころか、進んでいたのだという話だった。

 そこで昨今の日本の物価高を当時のヤップ島に置き換えてみよう。すると1年前まではこの石貨でヤシの実が100個買えたのに、最近は70個しか買えないと多くの人たちが嘆くのではないか。また、集落の真ん中に石貨が置いてあって所有権だけが変わるとすれば、金の動きが「可視化」できるので「裏金問題」など起きないのにと、日本人を笑っているかも知れない。

 そういえば「糞尿は貨幣ではないが、貨幣は糞尿だったかも知れない」というのも思い出した。現代と同じように、ヤップ島でも良心を売ってこの石貨の所有者になった人がいたのだろうか?

2024年11月11日

信じがたい疑惑、だが‥‥

Photo_20241107154501 JR両毛線国定駅前にある「國定忠次」の碑=群馬県伊勢崎市

 11月7日、ある催しがあって都内の有名なTホテルに行った。会場は2Fだったのだが、1Fのエスカレーター前のクロークにカバンを預けた。会場にいたのは1時間半程度で少し早めに失礼することにした。そしてクロークに行って控えの番号札を渡す。

 「これで良いですか」というので「はい」といってカバンを受け取った。ただ、その受け渡しの瞬間にちょっと「アレ?」という感じがしたのは事実だ。しかし、なんの疑いもなく、そのままカバンを持ってホテルを後にして約10分後に、何かおかしいと気づいたのである。

 カバンのサブポケットのファスナーのスクロールの穴に、お守りを兼ねた携帯用ストラップを付けていたのだが、ないのである。不思議だなぁ、おかしいなぁ、と思ったのだが、頭が混乱してそれ以上先には思考が進まない。ひょっとしたら勘違いだったのかな、と自分を疑ってもみた。

 いろいろ思い出そうとしのだが、ずっと何年も付けているのだから勘違いということはない。最寄りの地下鉄の駅を出てホテルに行くまでの間に交差点の所でサブポケットからポケットテッシュを出して鼻をかみ、使用した紙も一緒にポケットに仕舞った。その時はいつもと同じにストラップはついていた。そしてクロークに預けて催し物の会場に入り、途中で失礼するまでは久しぶりにお会いした人たちと歓談していた。

 そして帰りにカバンを受け取って、10分後ぐらいにまた鼻をかもうとファスナーを開けようとした時にいつもと違うと感じたのだ。ストラップがないのである。ストラップの紐が切れるといったことは考えられない。また、かりに紐が切れたとしてもストラップは外に出ないように、いつもポケットの内側に入れていた。

 だから、なくなるとしたら預けている間しかない。とはいえ一流ホテルでそんなことがあるのか信じられないし、信じたくもない。それに金額にすれば僅かなものだ。ただ新屋山神社(山梨県富士吉田市)のものなので思い入れがある。2022年3月14日の当コラムで新屋山神社の写真を掲載しているが、その写真を撮った22年3月よりも数年前に行った時に購入したストラップだ。

 ともかくモヤモヤとした気分でスッキリしない。だが当コラムを書きながら気持ちを切り替えた。疑いは払拭し、新屋山神社が「また、おいでよ」と自分を誘ってくれているのだと解釈することにした。近いうちに時間をつくって訪ね、またストラップを買おう。そうすれば金運上昇、商売繁盛が実現すると信じて!

2024年11月 4日

政情が混沌

Photo_20241030162801 実り(1本の木に30数個)=自宅で

 総選挙の結果、国会が混沌としてきた。景気が良い時も不況でも、経済的にはいつも恵まれない生活をしてきたので、政権が安定していようと不安定であろうと自分にはさほど関係がない。そのような気軽な身には、政治的な混沌はむしろ面白い。

 大幅に議席を減らした自民党内では、石破総裁批判があるようだ。だが、誰が総裁であっても、今回の選挙では議席を大きく減らしただろう。逆に、石破総裁だったから議席減が現状ですんだ、という観方もできなくはない。

 自民党内で石破批判をしている人たちの多くは、公認されなかったり、公認されたが比例代表との重複立候補が認められなかった人たちである。そもそもの原因を作ったのは自分だという認識がないようだ。このような人たちが「先生」になれるのも賢明な有権者のお陰である。

 一方、立憲民主党と国民民主党が議席を増やしたが、あまり調子に乗らない方が良い。過去の民主党政権の失敗が、その後の「悪夢の安倍長期政権」につながったと自分は考えているからだ。立憲民主党も国民民主党も、敵失で議席が増えただけである。立候補者の中から「よりまし」で選ばれただけの「先生」方が少なくない。しかも共産党が追い風を吹かせてくれたという「漁夫の利」もあった。

 共産党についていえば、そもそも「裏金問題」に最初に火をつけたのは「しんぶん赤旗」だった。しかも投票日が間近になって、非公認立候補者が責任者になっている自民党支部への2000万円支給のスクープは、有権者の投票行動に大きな影響を与えたと思われる。自民党の議席減と立憲、国民両党の議席増の影の立役者は共産党かも知れない。

 だが、共産党は議席を減らした。目の覚めるようなヒットを何本も打ち、鮮やかな盗塁を決めて観客の関心を集めたが、そのランナーをホームベースに帰すことができず、結果的には負けてしまった野球のようなものだ。チャンスに決定打が出なかった理由を分析するべきだろう。

 ともかく政治が混沌とするのは、自分のような第三者には面白い。

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