日比谷公園内の石貨
ヤップ島で使われていた石貨=東京都千代田区 日比谷公園内
日比谷公園の近くで用があったので、久しぶりに公園内にある石貨の所に行った。説明書によると、これは南太平洋ヤップ島(現在のミクロネシア連邦)でお金として使われていたもので「石貨」と呼ばれている。石貨は6cmぐらいの小さなものから、直径3mといった大きなものまであり、一般には大きさ、表面の滑らかさ、形のよしあし、運搬の難易度などによって価値か決められていたという。日比谷公園にあるこの石貨は長径1.35m、短径1.00mで、1924年(大正13年)ごろ1000円ぐらいで通用していたようだと書かれている。
なぜ石貨をみに行ったのか。それは、半世紀も前になるが懐かしい思い出があるからだ。日比谷公園の石貨をみると故平井規之先生を思い出す。貨幣論の中で、先生が余談で日比谷公園にある石貨を話題にした。こんな大きな貨幣では持ち運びができない。そこで今から考えると当時は後れていたと思う人がいるかも知れないが、その人の方が後れている、という話だった。
なぜかというと、集落の真ん中にこの石貨を置いておく。そして動かさずに所有権だけを替えれば良い。つまり取引しても現金を動かさずに代金決済をする。ごく最近でいえばキャッシュレス決済のようなものだ。つまり遅れているどころか、進んでいたのだという話だった。
そこで昨今の日本の物価高を当時のヤップ島に置き換えてみよう。すると1年前まではこの石貨でヤシの実が100個買えたのに、最近は70個しか買えないと多くの人たちが嘆くのではないか。また、集落の真ん中に石貨が置いてあって所有権だけが変わるとすれば、金の動きが「可視化」できるので「裏金問題」など起きないのにと、日本人を笑っているかも知れない。
そういえば「糞尿は貨幣ではないが、貨幣は糞尿だったかも知れない」というのも思い出した。現代と同じように、ヤップ島でも良心を売ってこの石貨の所有者になった人がいたのだろうか?
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