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2025年6月

2025年6月30日

700回目の今回は動物の話

Photo_20250623093501 「秋田犬の里」=秋田県大館市 JR大館駅前(忠犬ハチ公の故郷)


 このコラムも今回で700回目になった。2012年1月9日からスタートし、毎週月曜日にUPしてきた(途中で入力ミスなどのため1、2回は欠けている)。2022年1月3日からは写真も添えるようにした。それにしても約13年半もの間、良く続いたものだ。

 今回は動物の話しである。先々週は野生の熊を見た。秋田県大館市に電車で行くには、新青森まで新幹線でいき、秋田行の特急で弘前を経由していくのが一番早い。あと5分ぐらいで大館駅に着くという所で、畑の中を林の方に走っていく熊の後姿を車窓から見たのである。クマ出没のニュースをテレビで観ているので、走り方など熊だと確信した。これは素人の感覚だが、子熊ではないし、成獣でもないような感じだった。

 野生動物ということでは、約1カ月前にも野生の兎を見ている。朝の散歩の途中で、近所の鬼怒川の土手の近くを走っていく兎がいた。イタチではないし兎だと思ったのである。すると反対側の草むらをぴょんぴょん跳ねている兎がもう一羽いた。こちらは4、5メートルの距離だったので間違いない。

 その辺りは冬でも緑の草があるので四季を通して餌には困らない。野生のイタチやキツネ、タヌキやハクビシンなどもいるが、野良犬や野良猫などはいないので、狭い地域だが自然の生態系が保たれているのだろう。

 ずっと以前だが雪の多い冬に、山形新幹線で福島から米沢に向かう山間部で、至近距離で野生のシカの群れを見たことがある。あるいは東京の奥多摩などでも車で走っていると野生の猿の群れに遭遇することがある。2024年9月30日の当コラムに掲載した写真は、北海道大学植物園の野生のリスだった。人間と動物の良好な関係が保てれば良いのだが‥‥。

 人間と関係の深い動物の代表は猫と犬だろう。このうち猫は気まぐれで、都合の良い時にはすり寄ってくるが、フッとどこかに行って気ままに時間を過ごしている。それに対して犬は人間に忠実だ。その代表が「忠犬ハチ公」だろう。大館市は忠犬ハチ公の故郷だ。

2025年6月23日

本屋で本を買う?

Photo_20250616091901 雨上がりの「四季の里公園」=茨城県守谷市

 本屋で本を買った!? 当たり前と言えば当たり前のことに過ぎない。だが、本屋に行くのも久しぶりなら、本を購入したのは5年ぶりぐらいなのだ。その間、ネット通販でも本を買っていないし、電子書籍も読んでいない。

 そこで、改めて考えてみると、最近は本を読んでいないのである。コロナで事務所を閉鎖したのが2020年6月末。ちょうど5年になる。それ以来、住居兼事務所にしたので通勤時間が無くなった。そこで雨が降らない日は、これまで通勤に使っていた時間に少し走って、その後は歩くような生活にした。その日のスケジュールによって1時間から長い日には2時間半ぐらい体を動かすようにしたのである。

 そのため本を読まなくなった。これまでは通勤時間に電車で移動している時に本を読んでいたからだ。通勤がなくなったので自ずと本を読まなくなったのである。また、通勤時間の合間に本屋によることが多かったが、それもなくなった。このように本から遠ざかっていた。通勤時間以外に改めて本を読むという生活は長年やっていなかったことになる。

 本を読まなくなった半面、スマホやパソコンでニュースなどを読む時間が増えた。ネット上の文章は総じて短い。それにあまり論理的ではない。いわば感覚的な文章なのである。そのような文章に慣れると、長くて多少は頭を使って考えながら読むことが苦痛になってくる。 おそらく、そのような人がけっこういるのではないかと思う。

 このように自分が本を読まなくなったのに、自分の本が売れないと嘆いているのだからしょうがない。その上、久しぶりに買った本も机の片隅に置いたままだ。

2025年6月16日

老人パワー!

Photo_20250609194201 須賀神社=東京都新宿区

 4月28日づけの「非対面≒非人間関係」でファミレスなどでは注文がタッチパネルになっている、といったことを書いた。また3月10日づけでは電車の乗り換え時に駅構内で昼食をすませようとしても立ち食いそばが少なくなってきたことを書いた。それらに関連する内容である。

 ローカル私鉄からJRに乗り換える駅で、少し早いが昼食を食べてしまおうと、一旦、改札を出た。すると駅前に中華めんや餃子のチェーン店があった。値段も安いし、それに味が自分の好みだからそのチェーン店はいろいろな所の店で食べることが多い。ところが店の前で高齢の人たちが15人ほどたむろして雑談していた。店が満席なので並んでいるのかと思ったのだが、時計を見たら開店時間の5分ぐらい前だった。そこで自分も立って待っていたら、間もなく店の人が「お待たせしました」といってドアを開けた。

 入口の前で待っていた人たちはいっせいに店内に入ったのだが、各人がめいめいの席に座ったのでグループではないようだ。自分も席に座ると、店員さんが水を運んできて「ご注文が決まりましたら呼んで下さい」といって席から離れていった。あれ? 確かこのチェーン店は注文がタッチパネル式だったはずだが‥。

 そこで、フッと気づいた。開店前から待っていた人たちをはじめ、ほとんどの客が高齢者だ。タッチパネルにすると操作が分からない、といって店員が呼ばれる頻度が高い。つまり非効率なのかも知れない。なるほど、それぞれの店の立地条件で客のボリューム層が異なるため、何が効率的かは違ってくる。そういうことだったのかと納得した。

 それにしても老人パワーは侮れないものだ。その時また閃いた。自分もその高齢者の一人じゃないか!

2025年6月 9日

長嶋さんが亡くなった

Photo_20250604155601 花畑(キンセンカ)のむこうに筑波山=茨城県下妻市 小貝川ふれあい公園

 長嶋茂雄さんが亡くなった。テレビでは番組を変更したり、ニュースの通常枠を延ばしたりして報道した。翌日の新聞も紙面で大きく扱った。いかに大きな存在だったかが分かる。

 長嶋さんに関しては「名言」も「迷言」もたくさんある。また、「ミスター・ベースボール」とも呼ばれた。その他にもたくさんの愛称があった。それだけたくさんの人たちに慕われた存在だったことを物語っている。明るくて躍動的で親しみやすい人柄が、野球という枠を超えて多くの人たちに親しみを感じさせたのだろう。

 自分は長嶋さんにお会いしたことはない。だが、長嶋さんという人からイメージするのは、日本の昭和の高度経済成長時代を象徴すような存在ということだ。戦後の日本の復興と成長という時代背景も、長嶋さんのキャラクターと上手くマッチした。もちろん経済成長には明と暗があったが、長嶋さんは明の部分を体現していた。そして当時のマスメディアの代表はテレビだったが、テレビ全盛期の絵になる存在だったのだ。長嶋さんの死を悼む人の中には、このような「良き時代」への郷愁もあるのではないだろうか。

 長嶋さんのご冥福をお祈りすると同時に、新しい日本の夜明けを告げるような新たなヒーローの誕生を期待したい。大リーグで活躍している大谷翔平選手は新しい時代のヒーロー候補の第一人者だろう。

 長嶋さんも大谷選手も野球ということでは共通している。だが、長嶋さんと大谷選手の違いは何かを考えると、それは時代背景の違いだ。長嶋さんは国民的な日本のヒーローだった。それに対して大谷選手はグローバル化した時代の、国際的な日本出身のヒーローといえるだろう。その距離感の違いが時代の流れを感じさせる。

2025年6月 2日

「真摯に‥」を真摯に考えた

Photo_20250528085301 武蔵一宮 氷川神社=さいたま市大宮区

 6月になった。今年も5カ月が過ぎたが、でも、まだ7カ月も残っている。その時点で早くも今年の流行語大賞の「当確」が出た。あくまで自分の審査結果だが、「真摯に受け止めます」を今年の流行語大賞の当確とする。ただし、これまで自分が理解していた「真摯に」とは全く意味が違うようなのだが‥?

 広辞苑によれば「真摯」は「まじめでひたむきなさま」となっている。だが、流行語大賞に選んだ「真摯に」は、どうも「意に介さない」という意味で使われているようだ。「広辞苑に書かれているような認識もあると受け止めますが、自分の認識は違います」と軽く流されそうだ。同じ「真摯に」という言葉でも、どのような意味に使うかは自分の都合次第という「認識」もあったのかと重く受け止めて参考にさせていただくことにしよう。

 これからは小学校などで次のようなことが起きてくるかもしれない。学校のテストで×をもらった生徒が、先生に対してなぜ×なのかを訪ねた。それに対して先生が、君の回答は何々だから間違っている、正解はこれこれだからこうであると教えた。ところが生徒は、「そのような認識もあるということを真摯に受け止めて参考にします。でも私の回答は間違いではなく正しいと認識しています」と言うようになってしまう。

 そして法律も意味がなくなってくる。ある事件で、地裁も高裁も最高裁も有罪判決だった。だが、「そのような法解釈もあるのだと真摯に受け止めます。だが、私は罪を犯したとは認識していませんので無罪です。これは冤罪です」と裁判の判決を受け入ない被告がでてきそうだ。

 最近やっと「厚顔無恥」という言葉の意味が分かってきたような気がする。いや、これはあくまで私の認識に過ぎないのだが‥。

 テレビのニュースで、兵庫県知事が無表情で応対する顔を観ていると、あのくらい厚顔になりたいものだと羨ましくなってくる。そういえば森友学園問題での国会答弁をテレビのニュースで観ている時も、当時の財務省理財局長の鉄面皮のような顔を何度も観たことがあったっけ。すぐ顔の表情に表れてしまうようではエライ人にはなれない。単純ではいけないということを「真摯に」受け止めることにしよう。そうだ! 「認識」も流行語大賞の有力な対抗馬だ。

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